平家物語
御輿振
若大衆どもは、
「何条その義あるべき。ただこの門より神輿を入れ奉れ」
といふやから多かりけれども、老僧の中に、三塔一の僉議者と聞こえし、摂津竪者豪運、進み出でて申しけるは、
「もっともさ言はれたり。神輿を先立て参らせて訴訟を致さば、大勢の中をうち破ってこそ、後代の聞えもあらむずれ。就中に、この頼政卿は、六孫王より以降、源氏嫡々の正統、弓矢を取って、いまだその不覚を聞かず。おおよそ武芸にも限らず、歌道にもすぐれたり。近衛院御在位の時、当座の御会のありしに、深山の花といふ題を出だされたりけるを、人々皆詠みわづらひたりしに、この頼政卿、
深山木のそのこずゑとも見えざりし さくらは花にあらはれにけり
といふ名歌仕(つかまつ)って、御感にあづかるほどのやさ男に、時に臨んでいかが情けなう恥辱をば与ふべき。神輿かきかへし奉れや」
と僉議(せんぎ)しければ、数千人の大衆、先陣より後陣まで、皆、尤も(もっとも)尤もとぞ同じける。
さて神輿を、か先立て参らせて、東の陣頭、待賢門(たいけんもん)より入れ奉らむとしければ、狼籍たちまちに出で来て、武士ども散々に射奉る。十禅師の御輿にも、矢どもあまた射立てたり。神人・宮仕射殺され、衆徒多く疵(きず)を蒙(かうぶ)る。をめきさけぶ声、梵天までも聞こえ、堅牢地神も驚くらむとぞおぼえける。大衆、神輿をば、陣頭に振り捨て奉り、泣く泣く本山へ帰りのぼる。