蜻蛉日記
ひとつ所には兄ひとり
ひとつ所には、兄(せうと)ひとり、をばとおぼしき人ぞすむ。それを親のごとおもひてあれど、なほむかしを恋(こ)ひつつ泣きあかしてあるに、年かへりて春夏もすぎぬれば、いまは果てのことすとて、こたびばかりはかのありし山寺にてぞする。ありしことども思ひいづるに、いとどいみじうあはれにかなし。導師の、はじめにて
「うつたへに秋の山べをたづね給ふにはあらざりけり。眼(まなこ)とぢ給ひしところにて、経の心とかせ給はんとにこそありけれ」
とばかりいふを聞くに、ものおぼえずなりて、のちの事どもはおぼえずなりぬ。あるべき事どもをはりてかへる。やがて複ぬぐに、鈍色(にびいろ)のものども、扇まで、祓(はらへ)などするほどに、
ふぢごろもながすなみだの川水は きしにもまさるものにぞありける
とおぼえていみじう泣かるれば、人にもいはでやみぬ。