蜻蛉日記
ふる年に節分するを
ふる年に節分するを、
「こなたに」
などいはせて
いとせめておもふ心をとしのうちに はるくることもしらせてしがな
かへりごとなし。また、
「ほどなきことを、すぐせ」
などやありけむ。
かひなくてとしくれはつるものならば はるにもあはぬみともこそなれ
こたみもなし。いかなるにかあらんと思ふほどに、
「とかういふ人あまたあなり」
ときく。さてなるべし、
われならぬ人まつならばまつといはで いたくなこしそおきつしらなみ
かへりごと、
こしもせずこさずもあらずなみよせの はまはかけつつとしをこそふれ
年(とし)せめて、
さもこそはなみのこころはつらからめ としさへこゆるまつもありけり
かへりごと、
ちとせふるまつもこそあれほどもなく こえてはかへるほどやとほかる
とぞある。あやし、なでふことぞと思ふ。風ふきあるるほどにやる。
ふくかぜにつけても物をおもふかな 大うみのなみのしづ心なく
とてやりたるに、
「きこゆべき人は、けふのことをしりてなん」
と異手(ことて)して、一葉(ひとは)ついたる枝につけたり。たちかへり、
「いとほしう」
などいひて、
わがおもふ人はたそとはみなせども なげきのえだにやすまらぬかな
などぞいふめる。