蜻蛉日記
さて助に、かくてやなどさかしらがる人のありて
さて助に、
「かくてや」
など、さかしらがる人のありて、ものいひつく人あり。八橋(やつはし)のほどにやありけん、はじめて、
かづらきやかみよのしるしふかからば ただひとことにうちもとけなん
かへりごと、こたびはなかめり。
かへるさのくもではいづこやつはしの ふみみてけんとたのむかひなく
こたみぞかへりごと、
かよふべきみちにもあらぬやつはしを ふみみてきともなにたのむらん
とかき手して書いたり。又
なにかそのかよはんみちのかたからん ふみはじめたるあとをたのめば
又、かへりごと、
たづぬともかひやなからんおほぞらの くもぢはかよふあとはかもあらじ
まけじとおもひ顔なめれば、又
おほぞらもくものかけはしなくはこそ かよふはかなきなげきをもせめ
かへし、
ふみみれどくものかけはしあやふしと おもひしらずもたのむなるかな
又やる、
なほをらん心たのもしあしたづの くもぢおりくるつばさやはなき
こたみは、
「くらし」
とてやみぬ。
しはすになりにたり。又、
かたしきしとしはふれどもさごろもの なみだにしむるときはなかりき
「ものへなん」
とて、かへりごとなし。又の日許(ばかり)、かへりごと乞(こ)ひにやりたれば、そばの木に
「みき」
とのみ書きておこせたり。やがて
我がなかはそばみぬるかとおもふまで みきとばかりもけしきばむかな
かへりごと、
あまぐもの山のはるけきまつなれば そばめるいろはときはなりけり