蜻蛉日記
かくてなほおなじごと
かくてなほおなじごと、たえず
「殿にもよほしきこえよ」
など、つねにあれば、かへりごとも見せんとて、
「かくのみあるを、ここにはこたへなんわづらひぬる」
とものしたれば、
「ほどをさものしてしを、などかかくはあらん。八月まつほどは。そこにびびしうもてなし給ふとか世にいふめる。それはしもうめきもきこえてんかし」
とあり。たはぶれと思ふほどにたびたびかかれば、あやしうおもひて、
「ここにはもよほしきこゆるにはあらず。いとうるさくはべれば、
「すべてここにはの給ふまじきことなり」
とものし侍るを、なほぞあめれば見たまへあまりてなん。さてなでふことにも侍るかな。
いまさらにいかなるこまかなづくべき すさめぬくさとのがれにしみを
あなまばゆ」
とものしけり。
頭の君、なほこの月のうちにはたのみをかけてせむ。このごろ例の年にもにず、ほととぎす
「たちをとほして」
といふ許(ばかり)になくを、ここにも書く文のはしつかたに、
「例ならぬほととぎすのおとなひにも、やすき空なく思ふべかめり」
と、かしこまりをはなはだしうおきたれば、つややかなることはものせざりけり。
助、
「馬ぶねしばし」
と借りけるを、例の文のはしに、
「助の君に、
「ことならずは馬ぶねもなし」
ときこえさせ給へ」
とあり。かへりごとにも、
「馬ぶねは立てたるところありておぼすなれば、給らんにわづらはしかりなん」
とものしたれば、た ちかへりて、
「立てたるところはべなるふねは、けふあすのほどにらちふすべきところほしげになん」
とぞある。