蜻蛉日記
さくねりても又の日
さくねりても又の日、
「助の君、けふ人々のがりものせんとするを、もろともに寮(つかさ)にときこえになん」
とて、門にものしたり。例の硯こへば紙おきて出だしたり。入れたるを見れば、あやしうわななきたる手にて、
「むかしの世にいかなる罪をつくり侍りて、かうさまたげさせ給ふ身となり侍りけん。あやしきさまにのみなりまさり侍るは、なり侍らんこともいとかたし。さらにさらにきこえさせじ。今はたかき峰になんのぼり侍るべき」
など、ふさに書きたり。かへりごと、
「あなおそろしや、などかうはのたまはすらん。うらみきこえ給ふべき人は、ことにこそ侍べかめれ。峰は知り侍らず、谷のしるべはしも」
と書きていだしたれば、助ひとつに乗りてものしぬ。助の、給はり馬いとうつくしげなるを取りてかへりたり。
その暮れに又ものして、
「一夜のいとかしこきまできこえさせ侍りしを思ひ給ふれば、さらにいとかしこし。
「いまはただ、殿よりおほせあらんほどを、さぶらはん」
などきこえさせになん、こよひは生(お)ひなほりしてまゐり侍りつる。
「な死にそ」
とおほせ侍りしは、千年(ちとせ)の命たふまじき心ちなんしはべる。手ををり侍れば指(および)三つ許(ばかり)はいとようふしおきし侍れど、おもひやりのはるかに侍れば、つれづれとすごし侍らん月日を、とのゐ許(ばかり)をすの端わたりゆるされ侍りなんや」
と、いとたとしへなくけざやかにいへば、それにしたがひたる返りごとなどものして、こよひはいととく帰りぬ。