更級日記
母、一尺の鏡を鋳させて
母、一尺の鏡を鋳させて、えゐて参らぬかはりにとて、僧をいだしたてて、初瀬にまうでさすめり。
「三日さぶらひて、この人のあべからむさま、夢に見せ給へ」
などいひて、まうでさするなめり。そのほどは精進せさす。この僧かへりて、
「夢をだに見でまかでなむが、ほいなきこと、いかがかへりても申すべきと、いみじうぬかづきをこなひて、ねたりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう、きよげにおはする女の、うるはしくさうぞき給へるが、たてまつりし鏡をひきさげて、
『この鏡には、文やそひたりし』
と問ひ給へば、かしこまりて、
『文もさぶらはざりき。この鏡をなむたてまつれとはべりし』
と答へたてまつれば、
『あやしかりける事かな。文そふべきものを』
とて、
『この鏡を、こなたにうつれるかげを見よ。これ見れば、あはれにかなしきぞ』
とて、さめざめと泣き給ふを見れば、ふしまろび、泣きなげきたるかげうつれり。
『このかげを見れば、いみじうかなしな。これ見よ』
とて、いま片つかたにうつれるかげを見せたまへば、御簾どもあおやかに、木帳おしいでたる下より、いろいろの衣こぼれいで、梅、桜さきたるに、うぐひす木伝ひなきたるを見せて、
『これを見るはうれしな』
と、のたまふとなむ見えし」
と語るなり。いかに見えけるぞ、とだに耳もとめず。
物はかなき心にも、つねに
「天照御神を念じ申せ」
といふ人あり。
「いづこにおはします神、仏にかは」
など、さはいへど、やうやう思ひわかれて、人にとへば、
「神におはします。伊勢におはします。紀伊の国に、紀の国造と申すは、この御神なり。さては内侍所に、すべら神となむおはします」
といふ。紀伊の国までは思ひかくべきにもあらざなり。内侍所にも、いかでかはまゐり、おがみたてまつらむ。空の光を念じ申すべきにこそは、など浮きておぼゆ。
親族なる人、尼になりて、修学院に入りぬるに、冬ころ、
涙さへふりはへつつぞ思ひやる 嵐ふくらむ冬の山里
かへし
わけてとふ心のほどの見ゆるかな 木かげをぐらき夏のしげりを