更級日記
東にくだりし親
東にくだりし親、からうじてのぼりて、西山なる所におちつきたれば、そこにみな渡りて見るに、いみじううれしきに、月のあかき、夜ひとよ、物語などして、
かかる世もありけるものをかぎりとて 君に別れし秋はいかにぞ
といひたれば、いみじく泣きて、
思ふことかなはずなぞといとひこし 命のほどもいまぞうれしき
これぞ別れの門出といひ知らせしほどのかなしさよりは、たいらかに待ちつけたるうれしさも限りなけれど、
「人の上にても見しに、老いおとろへて、世に出で交らひしは、をこがましく見えしかば、我はかくてとぢこもりぬべきぞ」
とのみ、のこりなげに世を思ひいふめるに、心細さたえず。
東は、野のはるばるとあるに、東の山ぎはは、比叡の山よりして、稲荷などいふ山まであらはに見えわたり、南は、双(ならび)の岡の松風、いと耳近う心細くきこえて、内には、いただきのもとまで、田といふものの、ひたひき鳴らす音など、田舎の心地していとをかしきに、月のあかき夜などは、いとおもしろきを眺めあかしくらすに、知りたりし人、里とをくなりて音もせず。たよりにつけて、
「何事かあらむ」
とつたふる人におどろきて、
思ひ出でて人こそとはね山里の まがきの荻に秋風はふく
といひにやる。