関白殿、黒戸より
関白殿、黒戸より出でさせ給ふとて、女房のひまなくさぶらふを、
「あないみじのおもとたちや。翁をいかに笑ひ給ふらむ」
とて、わけ出でさせ給へば、戸口ちかき人々、いろいろの袖口して、御簾引き上げたるに、権大納言の御沓(くつ)とりてはかせたてまつり給ふ。いとものものしく、きよげに、よそほしげに、下襲(したがさね)のしりながく引き、所せくてさぶらひ給ふ。あなめでた、大納言ばかりに沓とらせたてまつり給ふよ、と見ゆ。
山の井の大納言、その御つぎつぎのさならぬ人々、くろきものをひき散らしたるやうに、藤壺の塀のもとより、登花殿の前までゐなみたるに、ほそやかになまめかしうて、御佩刀(はかし)などひきつくろはせ給ひ、やすらはせ給ふに、宮の大夫殿は、戸の前に立たせ給へれば、ゐさせ給ふまじきなめり、と思ふほどに、すこしあゆみ出でさせ給へば、ふとゐさせ給へりしこそ、なほいかばかりの昔の御おこなひのほどにか、と見たてまつりしに、いみじかりしか。
中納言の君の、忌日とて、くすしがりおこなひ給ひしを、
「たまへ、その数珠しばし。おこなひしてめでたき身にならむ」
とかるとて、あつまりて笑へど、なほいとこそめでたけれ。御前に聞こしめして、
「仏になりたらむこそは、これよりはまさらめ」
とて、うちゑませ給へるを、まためでたくなりてぞ見たてまつる。
大夫殿のゐさせ給へるを、かへすがへす聞こゆれば、
「例の思ひ人」
と笑はせ給ひし。まいて、この後の御ありさまを見たてまつらせ給はましかば、ことわりとおぼしめされなまし。