蜻蛉日記
さてそのころ、帥殿の北の方、いかでにかありけん
さてそのころ、帥(そち)殿の北の方、いかでにかありけん、ささの所よりなりけりとききたまひて、この六月(みなつき)とおぼしけるを、使(つかひ)、もてたがへて、いまひとところへもていたりけり。取りいれて、はたあやしともや思はずありけん、かへりごとなどきこえてけり、とつたへききて、かのかへりごとをききて、ところたがへてけり、いふかひなきことを、またおなじことをもものしたらば、つたへてもきくらむに、いとねぢけたるべし、いかにこころもなく思ふらんとなんさわがるる、ときくがをかしければ、かくてはやまじと思ひて、さきの手して、
やまびこのこたへありとはききながら あとなきそらをたづねわびぬる
と、あさ花だなる紙にかきて、いと葉しげうつきたる枝に、立文(たてぶみ)にして、つけたり。また、さしおきて消えうせにければ、先のやうにやあらんとて、つつみ給ふにやありけん、なほおぼつかなし。あやしくのみもあるに、など思ふ。ほどへて、たしかなるべきたよりをたづねて、かくのたまへる。
吹く風につけて物おもふあまのたく しほのけぶりはたづねいでずや
とて、いときなき手して、薄鈍(うすにび)の紙にて、松の枝につけたまへり。御かへりには、
あるるうらにしほのけぶりはたちけれど こなたにかへす風ぞなかりし
とて、くるみいろの紙にかきて、色かはりたる松につけたり。