17〜18世紀のヨーロッパ文化で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
科学
・17世紀には、自然科学が急速に発達し、
科学革命がおこった。ヨーロッパ各国には
イギリス王立協会・フランス科学アカデミー・ベルリン科学アカデミーなどの研究機関が作られた。自然科学では以下の学者が活躍した。
ボイル(英) | 1662年にボイルの法則を発見した化学者。 |
ホイヘンス(蘭) | 土星の環を発見した物理・天文学者。 |
ニュートン(英) | 万有引力の法則を発見した数学・物理学者。著書『プリンキピア』 |
ラヴォワジェ(仏) | 1774年に燃焼理論・質量不変の法則を発見した化学者。 |
ラプラース(仏) | カントの星雲説を発展させた天文・数学者。 |
ハーヴェー(英) | 1628年に血液循環を立証した生理学者。 |
リンネ(瑞) | スウェーデンの植物学者。 |
ビュフォン(仏) | 『百科全書』作成に参加した博物学者。 |
ジェンナー(英) | 1796年に種痘法を開発した医師。 |
哲学
・哲学の分野では、17世紀イギリスで成立した
経験論が
帰納法、大陸(フランス)で成立した
合理論が
演繹法を成立させた。哲学では以下の学者が活躍した。
・帰納法の例
事例1 | Aは死んだ。 |
事例2 | Bも死んだ。 |
事例3 | A・Bは人間である。 |
結論 | 故にすべての人間はいつか死ぬ。 |
・演繹法の例
前提1 | すべての人間はいつか死ぬ。 |
前提2 | Aは人間である。 |
結論 | 故にAはいつか死ぬ。 |
フランシス=ベーコン(英) | 経験論(帰納法)の基礎を確立。著書『新オルガヌム』 |
ホッブス(英) | 経験論・唯物論を説いた哲学者・社会思想家。 |
ロック(英) | 啓蒙思想の成立に貢献した哲学者・政治学者。 |
ヒューム(英) | 経験論を経て懐疑論を唱えた。 |
デカルト(仏) | 合理論(演繹法)の祖。著書『方法序説』 |
スピノザ(蘭) | 合理主義・汎神論を唱えた。 |
ライプニッツ(独) | 哲学・数学者微分積分を創始、哲学では単身論を説いた。 |
パスカル(仏) | 微積分法を確立した数学・物理・哲学者。著書『パンセ』 |
カント(独) | 経験論・合理論のどちらにも属さず、批判哲学・ドイツ観念論を確立した。著書『純粋理性批判』『永遠平和のために』 |
王権神授説と自然法の概念の成立
・ヨーロッパでは
絶対王政を正当化する
王権神授説が長い間唱えられてきた。イギリスの
フィルマー、フランスの
ボーダン・ボシュエなどが主な論者である。
・他方、時代・地域を越えて、「人間が生まれながらに有する権利を保障する法」として、
自然法という概念がうまれ、『
海洋自由論』『
戦争と平和の法』などを著し、国際法・近代自然法の父と呼ばれるオランダの
グロティウスが国際法規の確立を主張した。自然法は、絶対王政や王権神授説に対抗する思想となっていった。
社会契約説・啓蒙思想
・自然法思想が浸透するにつれ、社会・国家も人民相互の契約により成立するという
社会契約説が成立した。
・社会契約説の論者は、『
リヴァイアサン』の著者で「万人の万人に対する闘争」を説き、絶対王政を擁護した
ホッブス(英)や、『
統治論二篇(市民政府二論)』の著者で名誉革命を正当化した
ロック(英)、社会思想家
ルソー(仏)などがいた。
・社会契約説は各地に広がり、旧来の権威・思想・制度・習慣を批判し、民衆を無知から解放しようとする
啓蒙思想(啓蒙主義)が成立した。啓蒙思想は市民革命を経験したイギリスではじまり、その後ヨーロッパ各地やアメリカに広まった。啓蒙思想はその後急進化し、フランス革命の思想的背景となる。啓蒙思想の主な論者は以下である。
モンテスキュー(仏) | 三権分立を主張した啓蒙思想家。著書『法の精神』『ペルシア人の手紙』 |
ヴォルテール(仏) | フリードリヒ2世、エカチェリーナ2世と親交のあった啓蒙思想家。著書『哲学書簡』 |
ルソー(仏) | フランス革命に最も影響を与えた啓蒙思想家。著書『人間不平等起源論』『社会契約論』 |
ディドロ(仏) | 『百科全書』編集の中心だった哲学・文学者。 |
ダランベール(仏) | ディドロとともに、『百科全書』を編集した数学・哲学者。 |
経済学
・
重商主義の進展とともに、国家が経済にさまざまな干渉を与えるのが正しいという認識が広まった。しかし、その後フランスで
重農主義が発達し、自然法に基づいて国家の経済活動干渉を批判し、個人の経済活動の自由(
自由放任・レッセ=フェール)を認めるべきという考えが広まった。
・フランスの宮廷医
ケネーは、経済学を研究後『
経済表』を著し、富の源泉は農業生産にあるとし、レッセ=フェールを主張した。また、その後、弟子の
テュルゴーがその主張を受け継いだ。
・イギリスの経済学者
アダム=スミスは、1776年に『
諸国民の富(国富論)』を著し、自由放任の重要性を説いた。これにより、重商主義と対立する
自由主義経済学の概念が成立し、アダム=スミスは
古典派経済学を創始した。
建築・美術
・建築や美術の分野では、ルネサンス様式後の16世紀後半以降、
バロック様式が流行した。
ルイ14世の居城
ヴェルサイユ宮殿は、バロック様式の代表的建築である。また、その後は
ロココ様式に代わり、プロイセンの
フリードリヒ2世が
ポツダムに建築した
サンスーシ宮殿が代表的建築となった。
・美術では、以下の芸術家が活躍した。
ルーベンス | フランドル派の画家。代表作「フランドルの祝祭」 |
ファン=ダイク | フランドル派の画家。代表作「チャールズ1世の三面肖像画」 |
レンブラント | オランダ画派の画家。代表作「夜警」 |
フェルメール | オランダ画派の画家。「真珠の耳飾りの少女」 |
エル=グレコ | クレタ島出身のスペイン画家。代表作「トレド風景」 |
ベラスケス | スペインの宮廷画家。代表作「ラス=メニーナス」 |
ムリリョ | ベラスケスの弟子。代表作「無原罪の御宿り」 |
ワトー | ロココ式の画家。代表的「シテール島の巡礼」 |
ブーシェ | フランスのロココ式宮廷画家。代表作「ヘラクレスとオンファレ」 |
フラゴナール | フランスのロココ式画家。代表作「読書する娘」 |
音楽
・17〜18世紀の音楽は
バロック音楽と言われ、
バッハや
ヘンデルなどが教会音楽を数多くのこした。
・バロック音楽以降、18世紀後半の
ウィーン楽派から
ベートーヴェンまでを
古典派音楽といい、その後1830年ころから
ロマン派音楽に代わった。
ハイドンや
モーツァルト、
ベートーヴェンが古典派の代表的音楽家である。
文学
・文学では、イギリスの
ピューリタン文学や、フランスの
古典主義文学が成立した。また、
リシュリューが設立した
フランス学士院(アカデミー=フランセーズ)では、フランス語の研究が行われた。この時代の代表的作家は以下である。
ミルトン(英) | 詩人でピューリタン文学の代表者。著書『失楽園』 |
バンヤン(英) | ピューリタン文学の作家。著書『天路歴程』 |
デフォー(英) | 小説家。著書『ロビンソン=クルーソー』 |
スウィフト(愛) | アイルランドの風刺作家。著書『ガリヴァー旅行記』 |
コルネイユ(仏) | 古典主義悲劇を創始した劇作家。 |
ラシーヌ(仏) | 古典主義悲劇を大成した劇作家。 |
モリエール(仏) | 古典主義喜劇を大成した劇作家。 |
市民生活
・17〜18世紀のヨーロッパには、交易の発達とともに様々な地域から
茶・砂糖・コーヒー・綿織物などの新製品が流入し、生活革命がおこった。
・都市には
カフェや
コーヒーハウスが作られ、上流階級の社交場として
サロンが流行し、世論が形成された。また、
居酒屋や
中国趣味(シノワズリ)、
植物園なども流行し、市民生活はさまざまな面で変わっていった。