雨のうちはへ降るころ
雨のうちはへ降るころ、けふも降るに、御使にて、式部の丞信経まゐりたり。例のごと、褥(しとね)さし出でたるを、常よりも遠くおしやりてゐたれば、
「誰が料ぞ」
といへば、笑ひて、
「かかる雨にのぼり侍らば、足がたつきて、いとふびんにきたなくなり侍りなむ」
といへば、
「など、せんぞく料にこそはならめ」
といふを、
「これは、御前にかしこう仰せらるるにあらず。信経が足がたのことを申さざらましかば、えのたまはざらまし」
と返し返しいひしこそ、をかしかりしか。
「はやう、中后(なかきさい)の宮に、ゑぬたきといひて、名たかき下仕へなむありける。美濃の守にて亡(う)せにける藤原時柄、蔵人なりける折に、下仕へどものある所にたちよりて、『これや、この高名のゑぬたき、などさも見えぬ』といひけるいらへに、『それは、時柄にさも見ゆるならむ』といひたりけるなむ、かたきに選りてもさることはいかでからむと、上達部(かんだちめ)、殿上人まで、興あることにのたまひける。また、さりけるなめり、けふまでかくいひ伝ふるは」
と聞こえたり。
「それまた、時柄がいはせたるなめり。すべて、ただ題がらなむ、文も歌もかしこき」
といへば、
「げにさもあることなり。さは、題いださむ。歌よみ給へ」
といふ。
「いとよきこと。ひとつはなせむに、同じくは、あまたをつかうまつらむ」
などいふほどに、御返り出で来(き)ぬれば、
「あな、おそろし。まかり逃ぐ」
といひて出でぬるを、
「いみじう真名も仮名もあしう書くを、人わらひなどする、かくしてなむある」
といふもをかし。
作物(つくも)所の別当するころ、誰がもとにやりたりけるにかあらむ、ものの絵やうやるとて、
「これがやうにつかうまつるべし」
とかきたる真名(まんな)のやう、文字の、世にしらずあやしきを見つけて、
「これがままにつかうまつらば、ことやうにこそあべけれ」
とて、殿上にやりたれば、人々とりて見ていみじう笑ひけるに、おほきに腹立ちてこそにくみしか。