淑景舎、東宮に
淑景舎(しげいさ)、春宮に参り給ふほどのことなど、いかがめでたからぬことなし。
正月十日にまゐりたまひて、御文などはしげうかよへど、まだ御対面はなきを、二月十日よひ、宮の御かたにわたりたまふべき御消息あれば、つねよりも、御しつらひ心ことにみがきつくろひ、女房などみなようゐしたり。夜中ばかりにわたらせたまひしかば、いくばくもあらであけぬ。
登花殿の東(ひむがし)の廂(ひさし)の二間に御しつらひはしたり。宵にわたらせ給ひて、またの日おはしますべければ、女房は御ものやどりにむかひたる渡殿にさぶらふべし。殿、うへ、暁ひとつ御車にてまゐり給ひけり。つとめていkととく御格子(みこうし)まゐりわたして、宮は御曹司の南に、四尺の屏風、西東に御座しきて、北むきにたてて、御たたみ御褥(しとね)ばかりをきて、御火桶まゐれり。御屏風の南、御帳の前に、女房いとおほくさぶらふ。
まだこなたにて御ぐしなどまゐるほど
「淑景舎は見たてまつりたりや」
ととはせ給へば、
「まだいかでか。御車よせの日、ただ御うしろばかりをなむ、はつかに」
ときこゆれば、
「其のはしらと屏風とのもとによりて、わが後ろよりみそかに見よ。いとをかしげなる君ぞ」
とのたまはするに、うれしく、ゆかしさまさりて、いつしかと思ふ。
紅梅の固紋、浮紋の御衣ども、紅のうちたる御三重がうへに、只ひきかさねてたてまつりたる。
「紅梅にはこき衣こそをかしけれ。え着ぬこそくちをしけれ。今は紅梅のは着でもありぬべしかし。されど、萌黄などににくければ。紅にあはぬか」
などのたまはすれど、ただいとぞめでたく見えさせ給ふ。たてまつる御衣の色ごとに、やがて御かたちのにほひあはせ給ふぞ、なおことよき人もかうやはおはしますらむ、とゆかしき。
さてゐざり入らせ給ひぬれば、やがて御屏風にそひつきてのぞくを、
「あしかめり。うしろめたきわざかな。」
ときこえごつ人々もをかし。障子のいとひろうあきたれば、いとよく見ゆ。上は白き御衣ども、紅のはりたる二つばかり、女房の裳(も)なめり、ひきかけて、おくによりて、東むきにおはすれば、只御衣などぞみゆる。淑景舎は、北にすこしよりて南むきにおはす。紅梅いとあまた、こくうすくて、うへにこき綾の御衣、すこしあかき小袿(こうちぎ)、蘇芳(すわう)の織物、萌黄のわかやかなる、固紋の御衣たてまつりて、扇をつとさしかくし給へる、いみじう、げにmでたくうつくしと見え給ふ。殿は薄色の御直衣、萌黄の織物の指貫、紅の御衣ども、御紐さして、廂(ひさし)の柱にうしろをあてて、こなたむきにおはします。めでたき御有様をうちゑみつつ、例のたはぶれごとせさせ給ふ。淑景舎の、いとやすらかに、今すこしおとなびさせ給へる、御けしきの紅の御衣にひかりあはせ給へる、なおたぐひはいかでか、と見えさせ給ふ。
御手水(てうづ)まゐる。かの御かたのは、宣耀殿、貞観殿をとほりて、童女二人、下仕へ四人して、もてまゐるめり。唐廂のこなたの廊にぞ、女房六人ばかりさぶらふ。せばしとて、かたへは御をくりして皆かへりにけり。桜の汗衫(かざみ)、萌黄、紅梅などいみじう、汗衫ながくひきてとりつぎまゐらする、いとなまめきをかし。織物の唐衣どもこぼれいでて、相尹(すけまさ)の馬の頭のむすめ少将、北野宰相のむすめ、宰相の君などをちかうはある。をかしと見る程に、こなたの御手水は番の采女(うねべ)の、青裾濃(あをすそご)の裳、唐衣、裙帯(くたい)、領巾(ひれ)などして、おもていとしろくて、下などとりつぎまゐるほど、これはた、おほやけしう唐めきてをかし。
御膳(おもの)のをりになりて、みぐしあげまゐりて、蔵人ども、御まかなひの髪あげてまゐらする程は、へだてたりつる御屏風もをしあけつれば、垣間見(かいまみ)の人、隠れ蓑とられたる心地して、あかず侘しければ、御簾の外に皆をしいだされたれば、殿、はしのかたより御覧じいだして、
「あれはたそや、かの御簾の間より見ゆるは」
ととがめさせ給ふに、
「少納言が、ものゆかしがりて侍るらむ」
と申させ給へば
「あなはづかし。かれはふるき得意を。いとにくさげなるむすめども持たりともこそ見侍れ」
などのたまう御けしき、いとしたりがほなり。
あなたにも御物(おもの)まゐる。
「うらやましう、かたがたの皆まゐりぬめり。とくきこしめして、翁、をんなに御おろしをだに給へ」
など、日ひと日たださるがうごとをのみし給ふ程に、大納言、三位の中将、松君ゐてまゐり給へり。殿、いつしかいだきとり給ひて、ひざにすゑたてまつり給へる、いとうつくし。せばき縁に所せき御装束の下重(したさがね)ひきちらされたり。大納言はものものしうきよげに、中将殿はいとらうらうしう、いづれもめでたきを見たてまつるに、殿をばさるものにて、上の御宿世(すくせ)こそいとめでたけれ。
「御円座」
などきこえ給へど、
「陣につき侍るなり」
とていそぎたち給ひぬ。
其の二