羽根
一月十一日
十一日。暁に船を出だして、室津を追ふ。
人みなまだ寝たれば、海のありやうも見へず。ただ月を見てぞ、西東をば知りける。かかる間に、みな夜明けて、手洗ひ、例のことどもして、昼になりぬ。
今し、羽根といふ所に来ぬ。稚(わか)き童、この所の名を聞きて、
「羽根といふ所は、鳥の羽根のやうにやある」
といふ。まだ幼き童のことなれば、人々笑ふ時に、ありける女童なむ、この歌を詠める。
まことにて名に聞くところ羽根ならば 飛ぶがごとくに都へもがな
とぞ言へる。男も女も、いかで疾(と)く京へもがな、と思ふ心あれば、この歌よしとにはあらねど、げにと思ひて、人々忘れず。この羽根といふ所問ふ童(わらは)のついでにぞ、また昔へ人を思ひ出でて、いづれの時にか忘るる。今日はまして母の悲しがらるることは、下りし時の人の数たらねば、古歌に、
「数は足らでぞかへるべらなる」
といふことを思ひ出でて、人の詠める、
世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひのまさる思ひなきかな
と言ひつつなむ。
一月十二日
十二日。雨降らず。ふむとき、これもちが船のおくれたりし、奈良志津より室津に来ぬ。