イスラーム世界の発展で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
東方イスラーム世界
・時を経てイスラーム世界は
中央アジアまで広がり、遊牧民だった
トルコ人がムスリムとなっていった。
セルジューク朝
・騎馬民族として強力な軍事力を有していたトルコ人は、セルジューク族の指導者
トゥグリル=ベクに率いられ
セルジューク朝(1038~1194)を建国した。
・その後トゥグリル=ベク(在位1038~1063)は、
アッバース朝カリフを支配下においていた
ブワイフ朝勢力を駆逐し、
1055年に
バグダートに入城し、アッバース朝カリフからイスラーム世界の世俗君主を意味する
スルタンという称号を与えられた。
・第2代スルタンの
アルプ・アルスラーン(在位1064~1072)統治下の
1071年には、
東ローマ帝国と
マンジケルトの戦いが起こり、皇帝
ロマヌス=ディオゲネスを捕虜とした。これ以降、トルコ民族が
小アジアに進出していった。マンジケルトの戦い後、セルジューク族の一派は小アジアに残り、
ルーム=セルジューク朝(1077~1308)を建国した。
・セルジューク朝黄金期のスルタンが
マリク=シャーで、イラン人の宰相
ニザーム=アルムルクを重用し、行政・軍事・イクター制が整備された。また、ニザーム=アルムルクは『
統治の書』を著し、
ニザーミーヤ学院というマドラサを設立し、シーア派イスラーム学派に対抗した。
その他の東方イスラーム王朝
■ホラズム朝(1077~1231)
セルジューク朝に仕えていた
トルコ系奴隷が、アム側下流の
ホラズムの太守に命ぜられたことで成立した。セルジューク朝と抗争し
イランを併合し、
ゴール朝を滅ぼしアフガニスタンを支配した。1220年に
チンギス=ハンによって滅ぼされた。
■ザンギー朝(1127~1222)
12世紀から13世紀にかけてイラク北部(ジャズィーラ)とシリアを支配したイスラーム王朝。歴史上初めて、キリスト教世界からの十字軍に対する
組織戦闘を行った。
■カラ=ハン朝(10世紀中頃~12世紀中頃)
中央アジアに起こったトルコ民族の国家で、
トルコ系初のイスラーム王朝となる。
999年に
サーマーン朝を滅ぼし、
トルキスタンを支配した。11世紀中頃に分裂し、
セルジューク朝や
西遼に滅ぼされた。
■イル=ハン国(1258~1353)
フラグが
アッバース朝を滅ぼした後建国したモンゴル王朝。第
7代
ガザン=ハンの時代にイスラーム教が
国教となり、宰相
ラシード=アッディーンのもと
イクター制が整備された。
■キプチャク=ハン国(1243~1502)
バトゥが建国したモンゴル王朝。13世紀後半に、モンゴル王朝として初めてイスラーム化した。のちに
アストラ=ハン国や
クリム=ハン国などが独立した。
アイユーブ朝・マムルーク朝
■アイユーブ朝(1169〜1250)
ザンギー朝に仕えた後、
ファーティマ朝の宰相として実権をにぎった
クルド人武将
サラディン(サラーフ=アッディーン)は、新たに
アイユーブ朝(1169~1250)を開いた。サラディン(在位1169~1193)は1171年にファーティマ朝を滅ぼし、
1187年にはイェルサレムをイスラームの占領下に置き、
第3回十字軍と戦った。
■マムルーク朝(1250〜1517)
サラディンの死後、アイユーブ朝に仕えていた
トルコ人奴隷(マムルーク)の司令官が有力となりアイユーブ朝を滅ぼし、新たに
マムルーク朝(1250~1517)を建国した。マムルーク朝はモンゴル軍の侵攻を阻止し、第
5代スルタン
バイバルスの時代にフラグに滅ぼされたアッバース朝に代わりカリフを擁立し、新しくイスラーム世界の盟主となった。また十字軍を撃退し、国際貿易で栄えたが、最終的に
オスマン帝国に滅ぼされた。
・アイユーブ朝やマムルーク朝期の首都になった
カイロは、
カーリミー商人というムスリム商人が国際貿易で活躍し、地中海・紅海・インド洋を結ぶ香辛料貿易の中継地点として繁栄した。
西方イスラーム世界
・西方イスラーム世界は、エジプトから東側の東方イスラーム世界に対し、アラビア語で「日の没する地」という意味の
マグリブと呼ばれる。主に、
モロッコ・チュニジア・アルジェリアなど、アフリカ北岸の地域を指す。
■ムラービト朝(1056~1147)
・11世紀半ば、西サハラに居住していたベルベル人の修道士(ムラービト)たちは、イスラームの布教を積極的に行い、その後宗教運動を経て北アフリカに
ムラービト朝(1056〜1147)を建国した。ムラービト朝はモロッコの
マラケシュを首都とし、
1076年に
ガーナ王国を滅ぼしたあと、
スーダンのイスラーム化を目指し、
イベリア半島にも進出した。最終的にムワッヒド朝に滅ぼされた。
■ムワッヒド朝(1130〜1269)
・モロッコにおこった
ベルベル人の王朝で、ムラービト朝を滅ぼし、イベリア半島南部も支配下におさめた。この時代、[redイブン=ルシュド(ラテン語名:アヴェロエス)]が医学者・哲学者として活躍した。ムワッヒド朝は同じくイベリア半島にも勢力を拡大したが、その後キリスト教国家による
レコンキスタ(国土回復運動)が高まり、イベリア半島から敗退した。最終的に1269年、新興のマリーン朝に滅ぼされた。
■ナスル朝(1232〜1492)
・ムワッヒド朝敗退後、イベリア半島に残った最後のイスラーム王朝である。イベリア半島東南の
グラナダ周辺の狭い地域のみを支配下においたが、
アルハンブラ宮殿や
アラベスクに代表される壮麗なイスラーム文化が栄えた。1479年、キリスト教国の
アラゴン王国と
カスティーリャ王国が統合して
スペイン王国が生まれると、レコンキスタはますます激しくなり、
1492年(コロンブス新大陸発見の年)にナスル朝は滅亡した。