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18_80 イスラーム世界の形成と拡大 / イスラーム世界の発展

イスラーム世界の発展(セルジューク朝、アイユーブ朝、マムルーク朝など) 受験対策問題 35

著者名: レキシントン
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イスラーム世界の発展で押さえておきたいポイント

※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。

東方イスラーム世界

・時を経てイスラーム世界は中央アジアまで広がり、遊牧民だったトルコ人がムスリムとなっていった。

セルジューク朝

・騎馬民族として強力な軍事力を有していたトルコ人は、セルジューク族の指導者トゥグリル=ベクに率いられセルジューク朝(1038~1194)を建国した。

・その後トゥグリル=ベク(在位1038~1063)は、アッバース朝カリフを支配下においていたブワイフ朝勢力を駆逐し、1055年にバグダートに入城し、アッバース朝カリフからイスラーム世界の世俗君主を意味するスルタンという称号を与えられた。

・第2代スルタンのアルプ・アルスラーン(在位1064~1072)統治下の1071年には、東ローマ帝国マンジケルトの戦いが起こり、皇帝ロマヌス=ディオゲネスを捕虜とした。これ以降、トルコ民族が小アジアに進出していった。マンジケルトの戦い後、セルジューク族の一派は小アジアに残り、ルーム=セルジューク朝(1077~1308)を建国した。

・セルジューク朝黄金期のスルタンがマリク=シャーで、イラン人の宰相ニザーム=アルムルクを重用し、行政・軍事・イクター制が整備された。また、ニザーム=アルムルクは『統治の書』を著し、ニザーミーヤ学院というマドラサを設立し、シーア派イスラーム学派に対抗した。

その他の東方イスラーム王朝

ホラズム朝(1077~1231)

セルジューク朝に仕えていたトルコ系奴隷が、アム側下流のホラズムの太守に命ぜられたことで成立した。セルジューク朝と抗争しイランを併合し、ゴール朝を滅ぼしアフガニスタンを支配した。1220年にチンギス=ハンによって滅ぼされた。

ザンギー朝(1127~1222)

12世紀から13世紀にかけてイラク北部(ジャズィーラ)とシリアを支配したイスラーム王朝。歴史上初めて、キリスト教世界からの十字軍に対する組織戦闘を行った。

カラ=ハン朝(10世紀中頃~12世紀中頃)

中央アジアに起こったトルコ民族の国家で、トルコ系初のイスラーム王朝となる。999年にサーマーン朝を滅ぼし、トルキスタンを支配した。11世紀中頃に分裂し、セルジューク朝西遼に滅ぼされた。

イル=ハン国(1258~1353)

フラグアッバース朝を滅ぼした後建国したモンゴル王朝。第7ガザン=ハンの時代にイスラーム教が国教となり、宰相ラシード=アッディーンのもとイクター制が整備された。

キプチャク=ハン国(1243~1502)

バトゥが建国したモンゴル王朝。13世紀後半に、モンゴル王朝として初めてイスラーム化した。のちにアストラ=ハン国クリム=ハン国などが独立した。

アイユーブ朝・マムルーク朝

アイユーブ朝(1169〜1250)

ザンギー朝に仕えた後、ファーティマ朝の宰相として実権をにぎったクルド人武将サラディン(サラーフ=アッディーン)は、新たにアイユーブ朝(1169~1250)を開いた。サラディン(在位1169~1193)は1171年にファーティマ朝を滅ぼし、1187年にはイェルサレムをイスラームの占領下に置き、第3回十字軍と戦った。

マムルーク朝(1250〜1517)

サラディンの死後、アイユーブ朝に仕えていたトルコ人奴隷(マムルーク)の司令官が有力となりアイユーブ朝を滅ぼし、新たにマムルーク朝(1250~1517)を建国した。マムルーク朝はモンゴル軍の侵攻を阻止し、第5代スルタンバイバルスの時代にフラグに滅ぼされたアッバース朝に代わりカリフを擁立し、新しくイスラーム世界の盟主となった。また十字軍を撃退し、国際貿易で栄えたが、最終的にオスマン帝国に滅ぼされた。

・アイユーブ朝やマムルーク朝期の首都になったカイロは、カーリミー商人というムスリム商人が国際貿易で活躍し、地中海・紅海・インド洋を結ぶ香辛料貿易の中継地点として繁栄した。

西方イスラーム世界

・西方イスラーム世界は、エジプトから東側の東方イスラーム世界に対し、アラビア語で「日の没する地」という意味のマグリブと呼ばれる。主に、モロッコ・チュニジア・アルジェリアなど、アフリカ北岸の地域を指す。

ムラービト朝(1056~1147)

・11世紀半ば、西サハラに居住していたベルベル人の修道士(ムラービト)たちは、イスラームの布教を積極的に行い、その後宗教運動を経て北アフリカにムラービト朝(1056〜1147)を建国した。ムラービト朝はモロッコのマラケシュを首都とし、1076年にガーナ王国を滅ぼしたあと、スーダンのイスラーム化を目指し、イベリア半島にも進出した。最終的にムワッヒド朝に滅ぼされた。

ムワッヒド朝(1130〜1269)

・モロッコにおこったベルベル人の王朝で、ムラービト朝を滅ぼし、イベリア半島南部も支配下におさめた。この時代、[redイブン=ルシュド(ラテン語名:アヴェロエス)]が医学者・哲学者として活躍した。ムワッヒド朝は同じくイベリア半島にも勢力を拡大したが、その後キリスト教国家によるレコンキスタ(国土回復運動)が高まり、イベリア半島から敗退した。最終的に1269年、新興のマリーン朝に滅ぼされた。

ナスル朝(1232〜1492)

・ムワッヒド朝敗退後、イベリア半島に残った最後のイスラーム王朝である。イベリア半島東南のグラナダ周辺の狭い地域のみを支配下においたが、アルハンブラ宮殿アラベスクに代表される壮麗なイスラーム文化が栄えた。1479年、キリスト教国のアラゴン王国カスティーリャ王国が統合してスペイン王国が生まれると、レコンキスタはますます激しくなり、1492年(コロンブス新大陸発見の年)にナスル朝は滅亡した。
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・イスラーム世界の発展(セルジューク朝、アイユーブ朝、マムルーク朝など) 受験対策問題 35

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『世界史B 教科書』 山川出版社
『世界史B 用語集』 山川出版社

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