アフリカ・インド・東南アジアのイスラーム世界の発展で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
アフリカのイスラーム世界
■クシュ王国(紀元前920頃~紀元後350頃)
アフリカでは、イスラーム以前にナイル川上流の
スーダンに
クシュ王国(紀元前920頃~紀元後350頃)が存在し、都
メロエを中心に栄えた。クシュ王国はこの遷都後メロエ王国と呼ばれた。最終的に
アクスム王国に滅ぼされた。
■アクスム王国(紀元前後~9世紀)
クシュ王国を滅亡させたあと、エチオピアに建国されたアクスム人の王国。4世紀に
コプト派キリスト教が盛んになった。
■ガーナ王国(8世紀以前~1076)
西アフリカにおこった王国で、
金を多く産出した。イスラムの商人と活発に交易を行い、
サハラ縦断交易で栄えた。1076年、北アフリカのベルベル人のイスラーム王朝
ムラービト朝によって滅ぼされた。
■マリ王国(1240~1473)
西スーダンを中心に、
マンディンゴ人が建国した王朝。アフリカの王朝として
イスラーム教を受容し、都
トゥンブクトゥを中心に栄えた。マリ王国最盛期の国王が
マンサ=ムーサ王(在位1312~1337)で、イスラーム教徒としてメッカに巡礼した際、大量の金を奉納した。マリ王国には、イスラーム世界の大旅行家
イブン=バットゥータも訪れた。最終的に
ソンガイ王国に滅ぼされた。
■ソンガイ王国(1473~1591)
ソンガイ族が、
ニジェール川流域に建国したイスラーム王朝。都
ガオや
トゥンブクトゥを中心に内陸貿易で栄えた。16世紀に
モロッコ軍によって滅ぼされた。
■カネム=ボルヌー王国
チャド湖の湖畔に建国された黒人王国で、
11世紀末に
イスラーム化した。
■モノモタパ王国(11世紀~19世紀)
ジンバブエ(石の家)という石造遺跡を中心にアフリカ南部に建国。
・こうしたアフリカのイスラーム化によって、イスラーム商人の交易活動が活発化し、
モザンビーク・ザンジバル・キルワ・マリンディ・モンバサ・モガディシュ・ソファラなど、アフリカ各地に交易都市が発達した。また、東アフリカ古来の
バントゥー語と
アラビア語がもとになり、新たに
スワヒリ語が生まれた。
インドのイスラーム世界
■ガズナ朝(962~1186)
サーマーン朝のマムルークが、アフガニスタンの
ガズナを中心に建国したイスラーム王朝。
10世紀末よりインド進出を繰り返し、インドのイスラーム化の端緒をつくった。ガズナ朝は
セルジューク朝と
ゴール朝の攻撃をうけ、滅亡した。
■ゴール朝(1148頃~1215)
アフガニスタンの
ゴールを中心に成立したイスラーム王朝。
ガズナ朝を滅亡させ、インド侵入を繰り返した。ヒンドゥー教国家だった北インドの
ラージプート諸王朝を破り、インドのイスラーム化が一層進展した。最終的に
ホラズム朝に滅ぼされた。
■奴隷王朝(1206~1290)
奴隷出身で、ゴール朝の武将だった
アイバクが、デリーを占領し建国した。この
奴隷王朝以降、
ハルジー朝、トゥグルク朝、サイイド朝、ロディー朝の5王朝を
デリー=スルタン朝(1206~1526)といい、
ロディー朝が
アフガン系で、残りの4王朝は
トルコ系であった。
■ハルジー朝(1290~1320)
デリー=スルタン朝第2王朝。
ジャラールッディーンが奴隷王朝を滅亡させ建国した。
アラーウッディーン=ハルジーの時代に
南インドや
デカンに進出し最盛期を迎えた。
■トゥグルク朝(1320~1414)
デリー=スルタン朝第3王朝。
1398年
ティムール帝国の侵入を受け衰退した。
■サイイド朝(1414~1451)
デリー=スルタン朝第4王朝。ティムール帝国の武将
ヒズル=ハンが建国。支配地域はデリー周辺のみで、短期間で滅亡した。
■ロディー朝(1451~1526)
デリー=スルタン朝第5王朝。唯一の
アフガン系。
■バフマン朝(1347~1527)
デカン地域を支配したイスラーム王朝。デリー=スルタン朝やヒンドゥー王朝と対立した。
東南アジアのイスラーム世界
■マラッカ王国(14世紀末頃~1511)
マレー半島から
スマトラ島東岸を支配した
港市国家。15世紀半ばにイスラーム化し、
東南アジア初のイスラーム王国家となった。
ポルトガル人によって滅ぼされた。
■アチェ王国(15世紀末頃~20世紀初め)
スマトラ島北端の港市国家で、イスラーム王朝として
マラッカ王国滅亡後、交易で栄えた。20世紀初頭に、
オランダとの
アチェ戦争に敗れ滅亡した。
■マタラム王国(16世紀末頃~1755)
マジャパヒト王国衰退後、ジャワ島東部に建国されたイスラーム王朝。
オランダの進出により滅亡した。
■バンテン王国(1527頃~1813)
ジャワ島西部におこったイスラーム王朝。
胡椒貿易で栄えたが、最終的に
オランダ東インド会社に支配された。