イスラーム帝国の成立と分裂で押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
アッバース朝の盛衰
・ムハンマドの
叔父にあたるハーシム家の
アル=アッバースは、アッバース家を建て、その後名門一族として有力な家系となっていった。
・ウマイヤ朝末期、アッバース家の子孫
アブー=アルアッバースは、
ホラーサーン地方を拠点にしつつウマイヤ朝に対抗した。アブー=アルアッバース(在位750〜754)は、シーア派や非アラブ人ムスリムなど当時のウマイヤ朝に不満を持っていた勢力の協力を得て、
750年にウマイヤ朝を滅ぼし、新たに
アッバース朝(750〜1258)を建国した。
・アッバース朝は、イスラーム教徒の融和を目指し、建国時に協力的だった
シーア派を弾圧し、国民の多くを占める
スンナ派を保護した。また、アラブ人の優遇政策を廃止し、
イスラーム教徒間の平等を実現した。これにより、ムスリムの平等が実現され、
アラブ帝国から
イスラーム帝国への転換が図られた。
・アッバース朝建国の翌年の
751年には、中央アジア北部のタラス川近辺で
タラス河畔の戦いが起こり、
高仙芝率いる
唐軍にアッバース朝イスラーム軍が大勝した。この戦いの捕虜に唐の製紙職人がおり、これ以降
製紙法がイスラーム世界に伝わった。
・アブー=アルアッバースが亡くなると、彼の兄第2代
マンスール(在位754〜775)がカリフに即位した。マンスールはアッバース朝の実質的な建国者となり、行政機構の整備と中央集権化をすすめ、
762年には新都
バグダートを建設した。バグダートは円形都市として
ディグリス川中流域に建設され、その後の最盛期には150万人の人口を抱える大都市となった。
・アッバース朝第
5代カリフ
ハールーン=アッラシード(在位786〜809)の時代になると、アッバース朝は最盛期を迎え、国政全般を統率した
ワズィールという宰相のもと、安定的な時代となり、イスラーム文化が花開いた。ハールーン=アッラシードは『
千夜一夜物語』にも登場するカリフである。
・こうした最盛期のあと、869年にはアリー=ブン=ムハンマドという人物がサンジュという黒人奴隷を率いて
サンジュの乱を起こしたが、883年には平定された。
・アッバース朝はその後政治的に衰退したが13世紀まで存続した。最終的に
1258年モンゴル帝国軍を率いた
フラグに滅ぼされた。
イスラム帝国の分裂
・アッバース朝建国後、ウマイヤ家の一族
アブド=アッラフマーン1世(在位756〜788)は、北アフリカを経由しイベリア半島に逃れ、
後ウマイヤ朝(756〜1031)を建国した。後ウマイヤ朝は都
コルドバを中心に栄え、
アブド・アッラフマーン3世(在位912〜961)の時代に最盛期を迎え、
ファーティマ朝に対抗して
アミール(総督)に代わり
929年
カリフの称号を使用した。イベリア半島に新たにイスラーム王朝ができたことで、イスラーム帝国の分裂がはじまった。以下各地に成立したイスラーム王朝である。
■トゥールーン朝(868〜905)
アッバース朝のアミール(総督)だった
イブン=トゥールーンがエジプトに建国。
■ターヒル朝(821〜873)
9世紀にアッバース朝のアミールとして
ホラーサーン以東地域を統括したイスラーム王朝。
■サッファール朝(867〜903)
ヤークーブ=ブン=ライスがターヒル朝から自立して建国した。
■サーマーン朝(875〜999)
サッファール朝を滅ぼして建国。アッバース朝から
事実上の独立を果たした。首都
ブハラを中心に繁栄したが、最後は
カラ=ハン朝に滅ぼされた。
■イドリース朝(789〜926)
シーア派が
モロッコに建国したイスラーム王朝。
■ファーティマ朝(909〜1171)
過激シーア派の
イスマーイール派が
チュニジアに建国。ファーティマ朝は後ウマイヤ朝やアッバース朝と抗争した。10世紀に
シリア・エジプトを征服し、新都
カイロを建設した。カイロは、衰退しつつあったアッバース朝の
バグダートを抜き、イスラーム世界の中心地としてさまざまな文化が生まれた。カイロにはイスマーイール派の
マドラサ(大学)の
アズハル学院が開設され、その後アイユーブ朝の時期に
スンナ派イスラーム神学の最高学府となった。ファーティマ朝は最終的に
アイユーブ朝の
サラディンに滅ぼされた。
■ブワイフ朝(932〜1062)
シーア派の軍事政権が建国。946年にバグダートに入城し、カリフによって全イスラーム世界の軍事・統治権を与えられた
大アミールに任命された。これ以降カリフは名目的となった。1062年セルジューク朝に滅ぼされた。