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18_80 イスラーム世界の形成と拡大 / イスラーム帝国の成立

十二イマーム派とは わかりやすい世界史用語1264

著者名: ピアソラ
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十二イマーム派とは

十二イマーム派は、シーア派の最大の分派であり、全世界のシーア派信者の約85%を占めています。この派は、預言者ムハンマドの後継者として12人のイマームを中心に信仰を築いています。

十二イマーム派の起源と歴史

ガディール・フムムの出来事

十二イマーム派の信仰は、632年のガディール・フムムの出来事に根ざしています。この際、ムハンマドはアリーを後継者として指名したとされており、彼が「私が彼のマウラーである者にとって、このアリーも彼のマウラーである」と述べたことを、アリーへの権威の委譲と解釈しています。



初期の分裂と対立

ムハンマドの死後、イスラム教徒の間で後継者を巡る対立が生じました。スンニ派はアブー・バクルを初代カリフとして支持しましたが、十二イマーム派はアリーが正当な後継者であると主張しました。この対立は、イスラム教徒の間の分裂を招き、後に内戦(第一次フィトナ)へと発展しました。

カルバラの戦い

680年、アリーの息子フサイン・イブン・アリーがウマイヤ朝のヤズィード1世に対して反乱を起こしましたが、カルバラの戦いで敗北し、フサインは殉教しました。この出来事は十二イマーム派にとって非常に重要であり、毎年アーシュラーの日にはフサインの殉教を追悼する儀式が行われます。

十二イマーム派の信仰と教義

イマームの概念

十二イマーム派の中心的な教義はイマームの概念です。彼らは、アリーとその子孫がイスラム教徒の正当な指導者であり、神から特別な知識と権威を授けられていると信じています。特に、アリーから始まる12人のイマームを認めています。

十二イマーム

この派は、以下の12人のイマームを信仰の中心に据えています:

アリー
ハサン
フサイン - ウマイヤ朝軍とカルバラーで戦い敗死。
アリー・ザイヌルアービディーン
ムハンマド・バーキル
ジャアファル・サーディク
ムーサー・カーズィム
アリー・リダー
ムハンマド・ジャワード
アリー・ハーディー
ハサン・アスカリー
ムハンマド・ムンタザル(マフディー) - 隠れイマーム

隠れたイマーム

十二イマーム派の信者は、12番目のイマームであるムハンマド・ムンタザル(マフディー)が隠れた状態にあり、終末に再臨すると信じています。この信仰はシーア派の終末論と密接に関連しています。

十二イマーム派の宗教行事と儀式

アーシュラーとムハッラム

十二イマーム派にとって、アーシュラーとムハッラムは重要な宗教行事です。アーシュラーはフサインの殉教を追悼する日であり、ムハッラムはその前後の月です。この期間中、信者たちはフサインの犠牲を思い起こし、さまざまな儀式や行事を執り行います。

タズィエ

タズィエはフサインの殉教を再現する劇で、アーシュラーの期間中に行われます。この劇はフサインとその家族の苦難を描き、信者に深い感動を与えます。

十二イマーム派の分布と影響力

主要な地域

十二イマーム派は、イラン、イラク、アゼルバイジャン、バーレーンなどで多数派を占めています。また、レバノン、インド、パキスタン、アフガニスタン、サウジアラビア、クウェート、オマーン、UAE、カタールなどにも少数派として存在しています。

イラン革命と十二イマーム派の影響力

1979年のイラン革命は、十二イマーム派の影響力を大きく高めました。アーヤトッラー・ホメイニーの指導のもと、イランはイスラム共和国として再編成され、十二イマーム派の教義が国家の基盤となりました。この革命は、十二イマーム派の政治的および宗教的影響力を中東全域に広げる契機となりました。

十二イマーム派はシーア派イスラム教の重要な分派であり、その歴史、信仰、文化は非常に豊かです。彼らの教義や行事は、信者にとって深い意味を持ち、コミュニティの結束を強めています。
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『世界史B 用語集』 山川出版社

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