ウィーン体制時代のフランスの状況
ギリシア独立によるナショナリズムの高揚は、ヨーロッパ各地に広がり、ウィーン体制に動揺を与えました。
フランスでも
七月革命という革命が起こり、ウィーン体制は次第に崩壊していくんですが、まずはじめに、ナポレオン後のフランスがどういった状況だったか見てみましょう。
フランス復古王政
ナポレオンの退位後、フランスでは亡命していたルイ16世の弟
ルイ18世(在位1814~1824)が即位し、
ブルボン朝が復活しました。これを
復古王政(1814~1830)といいます。
(ルイ18世)
この復古王政は絶対王政ではなく、1814年憲章に基づいた立憲君主制でした。
ルイ18世は即位した後、ブルジョワジーですら参政権のない極端な
制限選挙制を実施し、反動的な政治を行いました。
ルイ18世の没後、その弟
シャルル10世が即位すると、彼は
亡命貴族や
聖職者を保護し、多額の保証金を支払うなど反動政治を更に進めます。
(シャルル10世)
シャルル10世は反動政治に対する国民の不満をそらすため、北アフリカの
アルジェリアに出兵し、アルジェリアの民族指導者
アブドゥル=カーディルを屈服させ、ここをフランスの植民地にしました。