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18_80 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 / ウィーン体制

ウィーン体制③ ~中南米諸国・ギリシアの独立とウィーン体制のほころび~

著者名: エンリケ航海王子
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ウィーン体制のほころび

ドイツのブルシェンシャフト、スペインの立憲革命、ロシアのデカブリストの乱など、ヨーロッパで起こった自由主義運動は次々に弾圧され、ウィーン体制は盤石になったように見えました。

しかし、フランス革命を通じて生まれた新しい思想は、海をこえてヨーロッパの植民地だった中南米(ラテン=アメリカ)各国にも伝わっていました。

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(ラテン=アメリカ)

こうしてラテン=アメリカの独立運動がはじまり、それは次第にウィーン体制のほころびになっていきます。

中南米(ラテン=アメリカ)諸国の独立運動

フランス革命の思想が伝わったことがきっかけとなり、18世紀以降中南米(ラテン=アメリカ)諸国の独立の機運が高まりました。

ラテン=アメリカとは、正確にいうとメキシコから南に位置する中南米の国々を指します。この地域は、スペイン、フランス、ポルトガルの植民地となっていました。


ナポレオン戦争が起こると、ヨーロッパの混乱に乗じて、1810年以降独立運動が行われるようになっていきます。

なぜ、この地域で独立が目指されるようになったのか。大きな動機の一つが、ラテン=アメリカ社会あった人種差別でした。

当時、植民地では宗主国から派遣され、さまざまな特権を付与された本国人と、植民地人との間に大きな差別があり、植民地の人々は本国人に搾取されていました。植民地生まれの人々は以下の呼ばれ方をしていました。

クリオーリョ植民地生まれの白人で、地主階級。独立運動の中心になった。
メスティーソ白人とインディオの混血者。クリオーリョの独立運動を支持。
ムラート白人と黒人の混血者。社会的差別を受け、解放を望んだ。


植民地生まれの人々は、宗主国の植民地支配と、特権を持つ本国人との差別に反発して、独立運動を起こしたんですね。
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『教科書 世界史B』 山川出版社
『詳説世界史研究』 山川出版社
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