大日本帝国憲法のしくみ
1889年2月11日に、近代日本で初めての憲法が制定されました。(施行は1890年)。
それが
大日本帝国憲法と呼ばれる憲法です。
天皇から国民(当時は臣民)に与えられるという形で制定されたために、欽定憲法とも言います。
ここで注意したいのは、「欽定憲法」=「大日本帝国憲法」ではなく、天皇から与えられる形をとった憲法のことを欽定憲法ということです。
ここでは、この大日本帝国憲法の特徴について説明をします。
天皇の総攬
第4条:天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
と記載がある通り、天皇が総攬する、すなわち立法権・行政権・司法権すべての権利を統括する力を持つと規定されていました。
天皇大権
その中で、天皇は国家元首でありながら、神聖不可侵な存在として政治責任は問われないとされ
上記の項目などを
議会の制約なしに行使できる権利を有していました。
国民の在り方
国民は天皇の臣民とされ、
納税・
兵役の義務が課されました。
また、
言論の自由・
結社の自由・
信仰の自由などが与えられていましたが、それらの
自由は法律で制限されるものとされていました。
帝国議会の制定
貴族院と
衆議院の2院からなる議会を開設しました。
貴族院の構成メンバーは、
皇族・貴族・勅選議員などで、衆議院の構成メンバーは、制限選挙を勝ち抜いた人々でした。
この時代の選挙権は、
直接国税で15円以上を納めた25歳以上の男子にのみ与えられていました。
(15円を現在の価値に換算すると、100万円前後になります。)
選挙権があったのは、直接国税15円以上を納める、満25歳以上の男子
※この納税額の制限がなくなるのは、1925年のことです。
立法・行政・司法
いまでこそ三権分立とされ互いに干渉しあうことのない機関ですが、大日本帝国憲法下では、それぞれが
天皇を輔弼する(補佐する)機関として定められ、どの機関が優越であるという考え方はありませんでした。
まとめ
こうみてみると、当時はすべての権力が天皇に集中していたことがわかりますね!