大日本帝国憲法ができるまで
1889年2月11日に近代日本で初めての憲法である、
大日本帝国憲法が発布されました。
実はこの憲法ができあがるまでには、いくつもの憲法草案が存在していました。様々な人たちが自らの思惑を加えて作った
私擬憲法と呼ばれるものです。
私擬憲法
有名所としては、福沢諭吉が提唱しできた日本最初の社交クラブである
交詢社の「
私擬憲法法案」。
植木枝盛が作成した
東洋大日本国国憲按があります。後者は私擬憲法の中では最も民主的、急進的であるとされています。この東洋大日本国国憲按には国民の抵抗権や不服従件などが定められており、より
市民に近い立場で起草された憲法といえます。
現在60近くの私擬憲法確認されています。内容はそれぞれでしたが、人民主権や議院内閣制を主張するものが多く、当時の国民の求める政府、と政府が目指していた国には大きく乖離があったことが想像できます。
盛んになっていた私擬憲法の作成ですが、1887年に発令された
保安条例により、私擬憲法を作成することは禁じられてしまいます。
自由民権運的な運動は、天皇主権を目指す政府からすれば邪魔だったのでしょう。その後、政府主導で日本の目指す国家に近い、
ドイツの憲法をもとに大日本帝国憲法が作成されることになったのです。