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17_80 近代日本の形成とアジア / 立憲政治・憲法制定・議会の設立

国会開設の勅から自由民権運動の高まりへ

著者名: 早稲男
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国会開設の勅の背景

板垣退助が民撰議院設立建白書を政府に提出してから、世論でも国会開設への気運は高まっていきます。板垣は愛国社国会期成同盟と、今で言う政治団体を結成し世論を動かします。

そんな中、国会開設を決定的にさせた事件が起こります。
北海道開拓使官有物払下げ事件と呼ばれる事件です。
北海道開拓使官有物払下げ事件

北海道開拓使官有物払下げ事件とは、北海道開拓使長官の黒田清隆が国民の税金で作った施設を、破格の値段で譲渡しようとした出来事です。国有のものをただ同然で払い下げようとするとは何事かと非難を受けました。

政府側の人間からも批判の声がでます。大隈重信(早稲田大学創設者)は、特にこの事件に対して猛反対をします。
あまりの反対のしように、この事件をスクープした新聞社にリークさせたのは大隈ではないかと疑いを持たれてしまう程でした。結局この事件がきっかけに大隈重信は伊藤博文と確執を持つようになり、政府から追放されてしまいます。

政府は、多くの国民からの批判をうけて払い下げの中止を決定します。
このように、国主導ですべてを決めるには難しい時期に差し迫っていたのです。

いい加減、国会を作らなければクーデターの1つでも起こるのではないかと考えた政府は、国会開設の勅を発します。今から10年後に国会を作りますというアナウンスをしたのです。1881年のことです。

これを受けて板垣退助、大隈重信は政党を結成します。
板垣退助がフランス流の自由党、大隈重信がイギリス流の立憲改進党です。
征韓論で政府を離れた板垣退助、北海道開拓使官有物払下げ事件で政府を追放された大隈重信。ただでは転ばないという彼らの精神的な強さが垣間見えますね。
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『教科書 詳解 日本史B』 三省堂
『日本史用語集』 山川出版 

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