源氏物語 桐壺 その4 母御息所の死去1【源氏物語 原文】
その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。
年ごろ、常の篤しさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。
【現代語訳】
その年の夏のことです。更衣は体調を崩し実家に戻ろうとしていましたが、帝はこれをお許しになりませんでした。更衣が病弱なのは帝も見慣れていて、「もうしばらく様子をみては」とのことだったのです。
しかし、そう言っているうちに体調は次第に悪くなり、5,6日もするうちにはさらに衰弱してしまったので、更衣の母君(北の方)が泣く泣くお願いをして、ようやく帰宅させることとなりました。
このような場合でも二の宮に何かあってはならないと、更衣は二の宮を宮中に残して人目につかないように帰省をしました。
わかりやすいあらすじ
ある夏の季節の出来事でした。更衣は健康状態が悪化し、実家に戻ることを考えていましたが、帝はそれを認めませんでした。帝も更衣の体が弱いことは知っており、「しばらく経過を見守るべきだろう」と述べました。
ところが、その言葉を述べる間もなく、更衣の体調は次第に悪化し、5〜6日後にはますます衰弱してしまいました。そのため、更衣の母親である北の方が悲しみながら頼み込み、ついに彼女を帰宅させることが許されました。
このような事態であっても、二の宮に何か起こってはならないという気持ちから、更衣は二の宮を宮中に残し、人目につかないように帰省することとしました。
※あくまでもイメージを掴む参考にしてください。