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18_80 西アジア・地中海世界の形成 / キリスト教の成立と発展

ディオクレティアヌス帝の大迫害とは わかりやすい世界史用語1198

著者名: ピアソラ
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ディオクレティアヌス帝の大迫害とは

ディオクレティアヌス帝(在位284年〜305年)は、ローマ帝国の安定と復興を目指した皇帝として名高い人物ですが、彼の治世の後半にはキリスト教徒に対する極めて厳しい迫害が行われました。この迫害は「ディオクレティアヌスの大迫害」として広く知られ、ローマ帝国におけるキリスト教徒に対する最後の大規模な迫害となりました。

迫害の開始とその動機

303年、ディオクレティアヌスはキリスト教徒に対する一連の迫害を決定しました。この決定は、彼の共同皇帝であったガレリウスの強い影響を受けたものであり、ガレリウスはキリスト教に対して強い敵意を抱いていました。彼は、キリスト教徒がローマの伝統的な宗教や社会秩序に対する脅威であるとディオクレティアヌスに説き、最終的に迫害が始まることとなりました。

迫害の内容

ディオクレティアヌスによる迫害は、一連の勅令を通じて実行されました。

1.キリスト教徒の法的権利の剥奪:キリスト教徒は法的な権利を失い、裁判で証言することができなくなりました。

2.礼拝所の破壊:キリスト教徒の教会や礼拝所は破壊され、聖書やその他の宗教書は焼却されました。

3.公職からの追放:キリスト教徒は公職から追放され、軍隊からも排除されました。

4.全住民への犠牲の要求:全ての市民に対し、ローマの神々への犠牲を強制し、これを拒否した者は拷問や処刑にされました。

迫害の影響と地域ごとの違い

ディオクレティアヌスの迫害はローマ帝国内で地域ごとにその厳しさが異なりました。例えば、ガリアやブリタニアでは最初の勅令のみが適用され、迫害は比較的穏やかでしたが、東方の属州では特に厳しい迫害が行われました。ガレリウスとディオクレティアヌスは熱心な迫害者であり、特にガレリウスの支配地域では多くのキリスト教徒が犠牲になりました。

迫害の終結とその後

ディオクレティアヌスの退位後、迫害は次第に緩和されました。311年、ガレリウスは勅令を発布し、キリスト教徒に対する迫害を終了させました。さらに313年にはコンスタンティヌスとリキニウスによって「ミラノ勅令」が発布され、キリスト教徒の信仰の自由が正式に認められることとなりました。

ディオクレティアヌスによる大迫害は、ローマ帝国におけるキリスト教徒に対する最後で最も激しい迫害でした。この迫害はガレリウスの影響を受けて開始され、キリスト教徒の法的権利の剥奪、礼拝所の破壊、公職からの追放、普遍的な犠牲の強制などが行われました。しかし、ディオクレティアヌスの退位後、迫害は収束し、最終的にはキリスト教徒の信仰の自由が認められるに至りました。
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・ディオクレティアヌス帝の大迫害とは わかりやすい世界史用語1198

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『世界史B 用語集』 山川出版社

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