中国大陸の激動
10世紀以降、中国大陸では様々な王朝の興亡が相次ぎました。東部内モンゴルに
契丹(916〜1125)がおこり
遼をたて、更に北満州の
女真がおこり
金(1115〜1234)を建て、その後
モンゴル帝国が出現しました。
1125年に遼を滅ぼした金は、1127年に南下して
宋の都
開封を占領しました。宋王室の
高宗(在位1127〜1279)は江南に逃れ
南京で即位し、
南宋(1127〜1279)を開きました。この南宋は、平清盛が交易をおこなった相手国です。日本からの輸出品は
金・水銀・硫黄・木材・米・刀剣・漆器・扇などで、輸入品は
陶磁器・絹織物・香料・薬品・書籍・銭などで、これらは
唐物と呼ばれ珍重されました。
文化面でも交流がおこり、禅僧の
栄西(1141〜1215)・
道元(1200〜53)など80数名が入宋し、
蘭溪道隆(1213〜78)ら20数名が渡来しました。彼らにより、宗教以外に、
朱子学(宋学)、喫茶の風習などがもたらされました。
重源(1121〜1206)・
陳和卿により東大寺大仏が再建されたのもこの時期でした。
モンゴル帝国の成立
オノン・ケルレン両河の上流に住んでいた遊牧民の
モンゴル族は、一部族の長
テムジン(鉄木真=鉄を作る人の意)が全モンゴル民族を統一し、1206年に帝位につき、
チンギス=ハン(成吉思汗,在位1206〜27)と称しました。チンギス=ハンは中央アジア・北西インド・南ロシアにまたがる広大なモンゴル帝国をつくり、そのあとを継いだ
太宗(オゴタイ=ハン,在位1229〜41)は
カラコルムを都に定め、1234年に金を滅ぼし、高麗に出兵し、西方ではポーランド・ドイツの連合軍を破りました。
その後、チンギス=ハンの孫にあたる第5代皇帝の
フビライ=ハン(在位1260〜94)は、都を
大都(北京)に移し、1271年に国号を中華の伝統に習って
元としました。元は、南宋への侵攻を計画し、カンボジアやビルマなどを支配下に置き、東では高麗をおさえ、日本の征服も目指しました。