冷戦の終わりで押さえておきたいポイント
※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。
カーター以降のアメリカ
・アメリカでは、第39代大統領に
カーターが就任し、「
人権外交」を展開したが、政権基盤が脆弱だったことからあまり成果があがらなかった。
・1979年には、米中の国交が正常化したが、1980年代にはソ連の
アフガニスタン侵攻をきっかけに
新冷戦がおこり、一時的に軍拡がすすみ、両国経済に大きな打撃となった。
・第40代大統領の
レーガンは、小さな政府を目指し、行政改革や自由競争を奨励したが、対外的にはソ連との対立を深め軍備を拡張した。レーガン政権は「強いアメリカ」を実現するため、莫大な貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」に悩まされるようになった。1983年に発表された
戦略防衛構想は莫大な資金が必要とされ、中止となった。また、日本との間で貿易摩擦が起こるようになった。
・1985年、貿易赤字拡大によりアメリカが債務国となり、これを救うため先進5カ国の蔵相および中央銀行総裁が集まり、
プラザ合意が決まった。しかし、この後もアメリカの貿易赤字は改善せず、アメリカ経済は引き続き停滞した。
・1989年に
ジョージ・H・W・ブッシュが第41代大統領に就任すると、同年12月、ソ連のゴルバチョフと
マルタ会談を行い、冷戦の終結を宣言した。(
マルタ宣言)
・1991年には、
クウェートに侵攻し、国連決議を無視し続ける
イラクに対し、アメリカを中心とする多国籍軍が空爆を開始し、
湾岸戦争がはじまった。この戦争は二ヶ月ほどで終了したが、原油流出による海洋汚染、油田炎上による深刻な大気汚染など環境破壊がおこった。
・第42代大統領には
クリントンが当選し、財政再建に取り組んだが、その後スキャンダルで支持率が低下した。第43代大統領には、先々代の息子の
ジョージ・W・ブッシュが当選し、その政権下の2001年9月1日、ニューヨークの世界貿易センタービルに航空機が衝突し、同時多発テロが発生した。アメリカは首謀者
ビン=ラーディンをかくまっていたとされる
アフガニスタンに軍隊を派遣し、アフガニスタン紛争がはじまった。
ソ連の崩壊
・1979年、ソ連はアフガニスタンの親ソ連勢力がクーデターを起こしたことから、これに乗じ軍事介入し、全土を制圧した。このアフガニスタン侵攻以後、米ソ関係は急速に悪化した。
・ソ連では、ブレジネフ以降、
アンドロポフや
チェルネンコなどが書記長となったが、就任以降一年ほどで病死した。1985年に
ゴルバチョフがソ連共産党書記長となると、改革運動の
ペレストロイカを実行した。ペレストロイカは肥大化した官僚機構を是正し、知識人登用、経済再建、民主化をめざした。また、ゴルバチョフは1986年の
チェルノブイリ原発事故を契機に、
グラスノスチ(情報公開)にも乗り出し、ソ連の秘密主義を廃止した。
・ゴルバチョフ政権下では、この他にも緊張緩和に向けた新思考外交や社会主義諸国へのソ連の指導性を否定した
新ベオグラード宣言、アフガニスタンからのソ連軍撤退など様々な転換が図られた。しかし、1990年以降大統領となったゴルバチョフに対し、保守派がクーデターをおこした。このクーデターは3日間で鎮圧された。結果として、ゴルバチョフはソ連共産党の解散を勧告した後自ら辞任し、1991年9月にバルト三国が独立し、
1991年12月に
ソ連が消滅した。この流れの中で、
独立国家共同体(CIS)が
ウクライナ・ロシア・ベラルーシの3共和国で作られた。
・旧ソ連のロシア共和国はロシア連邦に改称し、大統領に
エリツィンが就任した。ロシア連邦からはチェチェン共和国が独立を求め
チェチェン紛争がはじまり、エリツィンのあとをついだ
プーチン政権下でもテロが続いている。