平家物語
座主流(ざすながし)
この明雲と申すは、村上天皇第七の皇子、具平親王より六代の御末、久我大納言顕通卿の御子なり。まことに無双の{碩特}、天下第一の高僧にておはしければ、君も臣も尊み給ひて、天王寺・六勝寺の別当をもかけ給へり。されども陰陽頭安倍泰親が申しけるは、
「さばかりの智者の明雲と名乗り給ふこそ心得ね。上に日月の光を並べて、下に雲あり」
とぞ難じける。仁安元年二月二十日、天台座主に成らせ給ふ。同じき三月十五日、御拝堂あり。中堂の宝蔵を開かれけるに、種々の重宝共の中に、方一尺の箱あり。白い布で包まれたり。一生不犯の座主、かの箱を開けて見給ふに、黄紙に書ける文一巻あり。伝教大師、未来の座主の名字をかねて記しおかれたり。我が名のある所まで見て、それより奥をば見ず、元のごとく巻き返しておかるる習ひなり。さればこの僧正も、さこそおはしけめ。かかる貴き人なれども、先世の宿業をばまぬかれ給はず。哀れなりし事どもなり。
つづき