『数寄の楽人(時光茂光の数寄天聴に及ぶ事)』
ここでは、
発心集の一節『
数寄の楽人(時光・茂光の数寄天聴に及ぶ事)』の現代語訳・口語訳とその解説を記しています。
※発心集は、鎌倉時代初期の仏教説話集です。編者は、
方丈記で有名な
鴨長明です。
原文
中ごろ、
市正時光といふ笙吹きありけり。茂光といふ篳篥師と囲碁を打ちて、同じ声に
裹頭楽 (かとうらく)を唱歌にしけるが、
おもしろくおぼえけるほどに、
内より
とみのことにて時光を召しけり。
御使ひ至りて、この由を言ふに、
いかにも、耳にも聞き入れず、ただ
もろともにゆるぎあひて、ともかくも申さざりければ、御使ひ、帰り参りて、この由をありのままにぞ申す。いかなる御戒めかあらむと思ふほどに、
とて、涙ぐみ
給へりければ、思ひのほかに
なむありける。
これらを思へば、この世のこと思ひ捨てむことも、
数寄はことにたよりとなりぬべし。
現代語訳(口語訳)
そう遠くはない時の話、市を監督する立場についていた時光という笙の吹き手がいました。時光が、茂光という篳篥の笛の演奏家と囲碁をうちながら、一緒に篳頭楽という曲を口ずさんで楽しくなっていたところ、帝が急ぎの用事があるとのことで時光のことをお呼びになられました。
帝の使いがやってきて、この旨(帝が呼んでいること)を言うのですが、決して、耳にも聞き入れず、茂光と一緒になってただただ体を揺らしていて、何も申し上げなかったので、(帝の)使いは帝の元に戻って、この旨をありのままに帝に申し上げます。どのような処罰があるのだろうかと使者が思っていたところ、
「興味深い者たちなことよ。そのように音楽に夢中になって、他のことは忘れてしまうぐらい没頭していることこそ、尊ぶべきことよ。王位というのはおもしろくないものであることよ。(2人のもとに)行って、彼らの音楽を聴くこともできない。」
とおっしゃって、涙ぐまれたので、使者は意外に思ったのでした。
この人たちのことを考えると、俗世に対する思いを断ち切るようにすることは、好きなことに夢中にな(って周りが見えなくな)ることに通ずるものがあるに違いない。
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