平家物語
殿下乗合
資盛(すけもり)朝臣(あそん)はふはふ六波羅へおはして、祖父の相国禅門に、この由うっへ申されければ、入道大きに怒って、
「たとひ殿下なりとも、浄海があたりをば、憚(はばか)り給ふべきに、幼き者に、左右なく恥辱を与へられけるこそ、遺恨の次第なれ。かかる事よりして、人にはあざむかるるぞ。この事思ひ知らせ奉らでは、えこそあるまじけれ。殿下を恨み奉らばや」
とのたまへば、重盛卿申されけるは、
「これは少しも苦しう候ふまじ。頼政・光基なんど申す源氏共にあざむかれて候はんには、まことに一門の恥辱でも候ふべし。重盛が子どもとて候はんずる者の、殿の御出に参りあひて、乗り物よりおり候はぬこそ、尾籠(びろう)に候へ」
とて、その時事にあふたる侍ども召し寄せ、
「自今以後も、汝等よくよく心得(う)べし。あやまって殿下へ無礼の由を申さばやとこそ思へ」
とて、帰られけり。
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