蜻蛉日記
さて廿五日の夜、宵うちすぎてののしる
さて廿五日の夜、宵うちすぎてののしる。火のことなりけり。
「いとちかし」
などさはぐをきけば、にくしと思ふところなりけり。その五六日は、礼の物忌みときくを、
「御門(みかど)の下よりなん」
とて文(ふみ)あり。なにくれとこまやかなり。今はかかるもあやしとおもふ。
七日はかたふたがる。
八日の日、未(ひつじ)の時ばかりに、
「おはしますおはします」
とののしる。中門おしあけて車ごめひきいるるをみれば、御前の男どもあまたながえにつきて、簾(すだれ)まきあげ、したすだれ左右おしはさみたり。榻(しぢ)もてよりたれば、おりはしりて、紅梅のただいまさかりなる下よりさしあゆみたるに、にげなうもあるまじううち見あげつつ、
「あなおもしろ」
といひつつあゆみのぼりぬ。
またの日をおもひたれば、又みなみふたがりにけり。
「などかは、さは告げざりし」
とあれば、
「さきこえたらましかば、いかがあるべかりける」
とものすれば、
「たがへこそはせましか」
とあり。
「おもふ心をや今よりこそは心みるべかりけれ」
など、なほもあらじに誰もものしけり。ちひさき人には手ならひ、歌よみなどをしへ、ここにてはけしうはあらじと思ふを、
「思はずにてはいとあしからん、いまかしこなるともろともに裳着せん」
などいひて、日くれにけり。
「おなじうは院へまゐらん」
とて、ののしりて出でられぬ。
このごろ空のけしきなほりたちて、うらうらとのどかなり。あたたかにもあらず、さむくもあらぬ風、梅にたぐひてうぐひすをさそふ。にはとりの声などさまざまなごうきこえたり。屋のうへをながむれば、巣くふすずめども、かはらのしたをいで入りさへづる。庭の草、こほりにゆるされがほなり。