平家物語
祇園精舎
忠盛御前の召しに舞われければ、人々拍子をかへて、
「伊勢平氏は酢甁(すがめ)なりけり」
とぞはやされける。この人々はかけまくもかたじけなく、柏原天皇の御末とは申しながら、中ごろは都の住ひもうとうとしく、地下にのみ振舞なつて、伊勢国に住国ふかかりしかば、その国のうつは物に事よせて、伊勢平氏とぞ申しける。そのうへ忠盛目のすがまれたりければ、かやうにははやされけり。いかにすべきやうもなくして、御遊(ぎょゆう)もいまだ終わらざるに、ひそかに罷出(まかりい)でらるるとて、横だへさされたりける刀をば、紫震殿(ししんでん)の御後(ごご)にして、かたへの殿上人の見られけるところにて、主殿司(とものづかさ)を召して、預け置きてぞ出でられける。家貞待ちうけたてまって、
「さていかが候ひつる」
と申しければ、かくとも言はまほしう思はれけれども、言ひつるものならば、殿上までも屯而(やがて)切りのぼらんずる者にてある間、
「別のことなし」
とぞ答へられける。
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