蜻蛉日記
さはれよろづにこのよのことはあいなく思ふを
さはれ、よろづにこのよのことはあいなく思ふを、去年(こぞ)の春、呉竹うゑんとてこひしを、このごろ
「たてまつらん」
といへば、
「いさや、ありもとぐまじう思ひにたる世の中に、心なげなるわざをやしおかん」
といへば、
「いと心せばき御ことなり。行基菩薩はゆくすゑの人のためにこそ、実なる木はうゑたまひけれ」
などいひて、おこせたれば、あはれにありしところとて、見む人も見よかしと思ふに、涙こぼれてうゑさす。二日ばかりありて雨いたくふり、東風(こちかぜ)はげしくふきて一(ひと)すぢ二すぢうちかたぶきたれば、いかでなほさせん、雨間もがなと思ふままに、
なびくかなおもはぬかたにくれ竹の うきよのすゑはかくこそありけれ