蜻蛉日記
十二月のついたちになりぬ
十二月のついたちになりぬ。七日ばかりの昼さしのぞきたり。いまはいとまばゆき心ちもしにたれば、几丁ひきよせて、けしきものしげなるをみて、
「いで、日暮れにけり、内裏(うち)よりめしありつれば」
とて、立ちにしままに、おとづれもなくて十七八日になりにけり。
今日のひるつ方より、雨いといたうはらめきて、あはれにつれづれと降る。まして、もしやと思ふべきことも絶えにたり。いにしへを思へば、我がためにしもあらじ。心の本上にやありけん。雨風にもさはらぬ物とならはしたりし物を、今日(けふ)おもひ出づれば、むかしも心のゆるぶやうにもなかりしかば、我が心のおほけなきにこそありけれ。あはれ、さはらぬものとみし物を、それまして思ひかけられぬ、とながめ暮らさる。雨のあしおなじやうにて、火ともすほどにもなりぬ。南おもてにこのごろくる人あり。あしおとすれば、
「さにぞあなる、あはれ、をかしくきたるは」
と、わきたぎる心をばかたはらにおきてうち言へば、年ごろ見知りたる人むかひて、
「あはれ、これにまさりたる雨風にも、いにしへは人のさはりたまはざめりし物を」
と言ふにつけてぞ、うちこぼるる涙のあつくてかかるに、おぼゆるやう、
おもひせくむねのほむらはつれなくて なみだをわかす物にざりける
と、くり返しいはれしほどに、寝(ぬ)る所にもあらで、夜は明かしてけり。その月、みたびばかりのほどにて、年は越えにけり。そのほどの作法、例のごとなればしるさず。