蜻蛉日記
かくてなほおなじやうなれば
かくて、なほおなじやうなれば、祭、祓へなどいふわざ、ことごとしうはあらで、やうやうなどしつつ、六月(みなづき)のつごもりがたに、いささか物おぼゆる心ちなどするほどにきけば、帥(そち)殿の北の方、尼になり給ひにけりときくにも、いとあはれに思うたてまつる。西の宮は、ながされたまひて三日といふに、かきはらひ焼けにしかば、北の方、我が御殿の桃園なるにわたりて、いみじげにながめ給ふときくにも、いみじうかなしく、我がここちのさわやかにもならねば、つくづくとふして思ひあつむることぞ、あいなきまでおほかるを、書き出だしたれば、いと見ぐるしけれど
あはれいまは かくいふかゐも なけれども おもひしことは はるのすゑ 花なんちると さわぎしを あはれあはれと ききしまに にしのみやまの うぐひすは かぎりのこゑを ふりたてて きみがむかしの あたごやま さしていりぬと ききしかど 人ごとしげく ありしかば みちなきことと なげきわび たにがくれなる やまみづの つひにながると さわぐまに よを卯月にも なりしかば 山ほととぎす たちかはり きみをしのぶの こゑたえず いづれのさとか なかざりし ましてながめの さみだれは うきよの中に ふるかぎり たれがたもとか ただならん たえずぞうるふ さ月さへ かさねたりつる ころもでは うへしたわかず くたしてき ましてこひぢに おりたてる あまたのたごは おのがよよ いかばかりかは そぼちけむ よつにわかるる むらどりの おのがちりぢり すばなれて わづかにとまる すもりにも なにかはかひの あるべきと くだけてものを おもふらん いへばさらなり ここのへの うちをのみこそ ならしけめ おなじかずとやここのくに しまふたつをば ながむらん かつはゆめかと いひながら あふべきごなく なりぬとや きみもなげきを こりつみて しほやくあまと なりぬらん ふねをながして いかばかり うらさびしかる よの中を ながめかるらん ゆきかへる かりのわかれに あらばこそ きみがとこよも あれざらめ ちりのみおくは むなしくて まくらのゆくへも しらじかし いまはなみだも みな月の こかげにわぶる うつせみも むねさけてこそ なげくらめ ましてや秋の かぜふけば まがきのをぎの なかなかに そよとこたへん をりごとに いとどめさへや あはざらば ゆめにもきみが きみをみで ながきよすがら なくむしの おなじこゑにや たへざらん とおもふこころは おほあらきの もりのしたなる 草のみも おなじくぬると しるらめや露
また、奥に
やどみればよもぎのかどもさしながら あるべき物と思ひけんやぞ
と書きて、うちおきたるを、前なる人みつけて
「いみじうあはれなることかな、これをかの北の方に見せたてまつらばや」
などいひなりて、
「げに、そこよりといはばこそ、かたくなはしく、みぐるしからめ」
とて、紙屋紙(かみやがみ)にかかせて、立文(たてぶみ)にて、けづり木につけたり。
「「いづこより」とあらば、「多武(たう)の峯より」といへ」
と教ふるは、この御はらからの入道の君の御もとよりといはせよとてなりけり。人とりてゐりぬるほどに、つかひはかへりにけり。かしこに、いかやうにかさだめおぼしけむはしらず。