更級日記
後のたのみ
さすがに、命は憂きにも絶えずながらふめれど、のちの世も、思ふにかなはずぞあらむかし、とぞうしろめたきに、頼むことひとつぞありける。天喜三年十月十三日の夜の夢に、ゐたる所の屋のつまの庭に、阿弥陀仏たちたまへり。さだかには見えたまはず、霧ひとへ隔たれるやうに、すきて見え給ふを、せめて絶え間に見たてまつれば、蓮華の座の、地をあがりたるたかさ三四尺、仏の御丈六尺ばかりにて、金色に光り輝き給ひて、御手、片つかたをばひろげたるやうに、いま片つかたには印をつくり給ひたるを、こと人の目には見つけたてまつらず、我一人見たてまつるに、さすがに、いみじくけおそろしければ、簾のもとちかく寄りてもえ見たてまつらねば、仏、
「さは、この度はかへりて、のちに迎へに来む」
とのたまふ声、わが耳ひとつに聞こえて、人はえ聞きつけずと見るに、うちおどろきたれば、十四日なり。この夢ばかりぞ、のちのたのみとしける。
甥どもなど、ひと所にて、朝夕見るに、かうあはれにかなしきことののちは、ところどころになりなどして、たれも見ゆることかたうあるに、いと暗い夜、六郎にあたる甥の来たるに、めづらしうおぼえて、
月もいででやみに暮れたるをばすてに なにとて今宵たづねきつらむ
とぞいはれにける。
ねむごろに語らふ人の、かうてのちおとづれぬに、
いまは世にあらじ物とや思ふらむ あはれ泣く泣くなほこそはふれ
十月ばかり、月のいみじうあかきを、泣く泣くながめて、
ひまもなき涙にくもる心にも あかしと見ゆる月の影かな
年月はすぎかはりゆけど、夢のやうなりしほどを思ひいづれば、心地もまどひ、目もかきくらすやうなれば、そのほどのことはまださだかにもおぼえず。人々はみなほかに住みあかれて、ふるさとにひとり、いみじう心細くかなしくて、ながめあかしわびて、ひさしうおとづれぬ人に、
しげりゆくよもぎが露にそぼちつつ 人にとはれぬ音をのみぞ泣く
尼なる人なり。
世のつねの宿のよもぎを思ひやれ そむきはてたる庭の草むら
ひたちのかすみがはらのたかすゑのむすめの日記なり。母倫寧朝臣女 傅のとののははうへのめひ也。よはのねざめ、みつのはままつ、 みづからくゆる、あさくらなどは、この日記の人のつくられたるとぞ。