蜻蛉日記
心のどかに暮らす日
心のどかに暮らす日、はかなきこといひいひのはてに、われも人もあしういひなりて、うち怨じて出づるになりぬ。端の方にあゆみ出でて、をさなき人をよび出でて、
「われはいまは来(こ)じとす」
などといひおきて出でにける。すなはち、はひいりて、おどろおどろしう泣く。
「こはなぞ、こはなぞ」
といへど、いらへもせで、論なうさやうにぞあらんとおしはからるれど、人のきかむもうたてものぐるほしければ、問ひさして、とかうこしらへてあるに、五六日ばかりになりぬるに、音もせず。例ならぬほどになりぬれば、あなものぐるほし、たはぶれごととこそ我はおもひしか、はかなき仲なればかくてやむやうもありなんかしと思へば、心ぼそうてながむるほどに、出でし日つかひしゆするつきの水は、さながらありけり。うへに塵ゐてあり。かくまでとあさましう、
たえぬるかかげだにあらばとふべきを かたみのみづはみくさゐにけり
など思ひし日しも、見えたり。例のごとにてやみにけり。かやうに胸つぶらはしきをりのみあるが、世に心ゆるびなきなん、わびしかりける。