蜻蛉日記
里にもいそがねど
里にもいそがねど、心にしまかせねば、今日(けふ)、みな出でたつ日になりぬ。来(こ)しときは、膝にふし給へりし人を、いかでやすらかにと思ひつつ、わが身は汗になりつつ、さりともと思ふ心そひてたのもしかりき。こたみは、いと安らかにてあさましきまでくつろかに乗られたるにも、道すがらいみじうかなし。下りてみるにも、さらに物おぼえずかなし。もろともに出でゐつつ、つくろはせし草なども、わづらひしよりはじめてうちすてたりければ、おひこりていろいろにさきみだれたり。わざとのことなども、みなおのがとりどりすれば、我はただつれづれとながめのみして、
「ひとむらすすき虫の音の」
とのみぞいはるる。
てふれねどはなはさかりになりにけり とどめおきける露にかかりて
などぞおぼゆる。
これかれぞ、殿上などもせねば、けがらひも一つにしなしためれば、おのがじじひきつぼねなどしつつあめるなかに、我のみぞまぎるることなくて、夜は念仏の声ききはじむるよりやがて泣きのみ明かさる。四十九日のこと、たれも欠くことなくて家にてぞする。わがしる人、おほかたのことを行ひためれば、人々おほくさしあひたり。わが心ざしには、仏をぞかかせたる。その日すぎぬれば、みなおのがじじ行きあかれぬ。ましてわが心ちは心ぼそうなりまさりて、いとどやるかたなく、人は、かう心ぼそげなるを思ひて、ありしよりはしげうかよふ。