更級日記
夫の死
いまは、いかでこの若き人々おとなびさせむ、と思ふよりほかのことなきに、かへる年の四月に上りきて、夏秋も過ぎぬ。
九月廿五日よりわづらひ出でて、十月五日に、夢のやうに見ないて思ふ心地、世中にまたたぐひあることともおぼえず。初瀬に鏡たてまつりしに、ふしまろび泣きたる影の見えけむは、これにこそはありけれ。うれしげなりけむ影は、来(き)し方もなかりき。いまゆく末は、あべいやうもなし。
廿三日、はかなく雲けぶりになす夜、去年(こぞ)の秋、いみじくしたてかしづかれて、うちそひてくだりしを見やりしを、いと黒き衣のうへに、ゆゆしげなるものを着て、車の供に、泣く泣く歩みいでてゆくを見出だして、思ひいづる心地、すべてたとへむ方なきままに、やがて夢路にまどひてぞ思ふに、その人や見にけむかし。
昔より、よしなき物語、歌のことをのみ心にしめで、夜昼思ひて行ひをせましかば、いとかかる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にて、まへの度、
「稲荷より給ふしるしの杉よ」
とて投げいでられしを、いでしままに、稲荷に詣でたらましかば、かからずやあらまし。年ごろ、天照大神を念じたてまつれと見ゆる夢は、人の御乳母(めのと)して、内わたりにあり、帝、きさきの御かげに隠るべきさまをのみ、夢ときもあはせしかども、そのことは、ひとつかなはでやみぬ。ただ、かなしげなりと見し鏡の影のみたがはぬ、あはれに心うし。かうのみ心にもののかなふ方なうてやみぬる人なれば、功徳(くどく)もつくらずなどして、ただよふ。