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18_80 ヨーロッパ世界の形成と変動 / 西ヨーロッパ中世世界の変容

十字軍の歴史② ~十字軍とサラディンの戦い ヨーロッパ社会の変容~

著者名: エンリケ航海王子
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第4回十字軍(1202~1204)

13世紀に入ると、ローマ・カトリックの最高権力者だった教皇インノケンティウス3世が、第4回十字軍を結集します。
この十字軍は、ローマ教皇の絶頂期に召集され、聖地奪還の期待が大きかったものであると言えます。
ところが、ヴェネツィア総督ダンドロの進言を信じた十字軍は、こともあろうか同じキリスト教国のビザンツ帝国を攻撃し、コンスタンティノープルを占領してしまいます。

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(コンスタンティノープルの陥落 ドラクロワ作)

占領後、彼らは略奪をし尽くした後、ラテン帝国を建国し、帝国の領土は遠征軍の諸侯や騎士に与えられました。

これは、西ヨーロッパ社会の領土拡大の野心と共に、当時交易をめぐってビザンツ帝国と対立していたヴェネツィアが、ビザンツの弱体化を目論んだものと考えられています。

宗教的動機を説き、十字軍を結成したインノケンティウス3世は、このことに大いに怒り、十字軍全体をキリスト教会から破門します。

ビザンツ帝国の領民たちは密かに逃れニケーア帝国をつくり、ビザンツ帝国の再興を目指すようになります。そしてその後1261年にラテン帝国を崩壊させ、ビザンツの再興を果たすのです。

少年十字軍(1212~)

少年十字軍という悲劇もありました。ドイツやフランス地方で神のお告げを聞いた少年たちが、聖地奪還に向けて出発した十字軍でしたが、途中奴隷商人などに売られたり、船の難破などにより失敗に終わりました。

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(少年十字軍の行進)

第5回十字軍(1228~1229)

この十字軍は、軍事的に失敗しましたが、親イスラム的な皇帝フリードリヒ2世とアイユーブ朝の外交交渉によって、一時期イェルサレムは奪還されました。
しかし、ときを経ずに、聖地は再びイスラム勢力下に置かれてしまいます。

第6回十字軍(1248~1254)

キリスト教の信仰に厚かったフランス王ルイ9世が単独でエジプトを攻めた十字軍でした。イスラム勢力を挟撃するために、フランチェスコ会修道士のルブルックを、モンゴルのカラコルムに派遣したのも有名です。しかし、マムルーク朝エジプトの迎撃にあい、失敗します。

第7回十字軍(1270)

第6回に引き続きルイ9世が組織した十字軍です。北アフリカのチュニスを攻撃し、進撃しましたが、その戦地で王が病没したため、帰国しました。最後の十字軍だと言われています。十字軍の終結と共に、イスラム勢力マムルーク朝は、アンティオキア候領(1268)、トリポリ伯領(1289)、アッコン(1291)を陥落させ、聖地は完全にイスラム勢力のものとなりました。
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『教科書 世界史B』 山川出版社
『詳説世界史研究』 山川出版社
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