円融院の御はてのとし
円融院の御はてのとし、みな人、御服ぬぎなどして、あはれなることを、おほやけよりはじめて、院の御ことなど思ひいづるに、雨のいたうふる日、藤三位の局(つぼね)に、蓑虫のやうなる童の、おほきなる、白き木に立文をつけて、
「これたてまつらせむ。」
といひければ、
「いづこよりぞ。今日明日は物忌なれば、蔀(しとみ)もまゐらぬぞ」
とて、下は立てたる蔀よりとりいれて、さなむとは聞かせ給へれど、物忌なればみず、とて、上についさしてをきたるを、つとめて、手あらひて、
「いで、その昨日の巻数」
とてこひいでて、伏し拝みてあけたれば、胡桃(くるみ)色といふ色紙のあつこゑたるを、あやしと思ひてあけてもいけば、法師のいみじげなる手にて、
これをだにかたみと思ふに宮こには はがへやしつる椎柴の袖
とかひたり。いとあさましう、ねたかりけるわざかな。誰がしたるにかあらむ。仁和寺の僧正のにや、と思へど、よにかかることのたまはじ、藤大納言ぞかの院の別当におはせしかば、そのし給へることなめり。これを上の御前、宮などに、とくきこしめさせばや、と思ふに、いと心もとなくおぼゆれど、なほいとおそろしういひたる物忌し果てむとて、念じ暮らして、またつとめて、藤大納言の御もとに、この返しをしてさしをかれたれば、すなはちまた、返ししておこせ給へり。
それを二つながら持ていそぎまひりて、
「かかることなむ侍りし」
と、上もおはします御前にて語り申し給ふ。宮ぞいとつれなく御覧じて、
「藤大納言の手のさまにはあらざめり。法師のにこそあめれ。昔の鬼のしわざとこそおぼゆれ」
など、いとまめやかにのたまはすれば、
「さは、こは誰がしわざにか。好き好きしき心ある上達部(かんだちめ)、僧綱などは誰かはある。それにや、かれにや」
など、おぼめきゆかしがり申し給ふに、上の、
「このわたりにみえし色紙にこそ、いとよくにたれ」
とうちほほへませ給ひて、いま一つ御厨子のもとなりけるをとりて、さし給はせたれば、
「いであな心う。これおほせられよ。あな頭いたや。いかでとく聞き侍らむ」
と、ただせめにせめ申し、うらみきこえてわらひ給ふに、やうやうおほせられいでて、
「使にいきける鬼童は、台盤所の刀自といふもののもとなりけるを、小兵衛がかたひらいだして、したるにやありけむ」
などおほせらるれば、宮も笑はせ給ふを、ひきゆるがしたてまつりて、
「など、かくは、はかられおはしまししぞ。なほ疑ひもなく手をうち洗ひて、伏し拝みたてまつりしことよ」
と、わらひねたがりゐ給へるさまも、いとほこりかに愛敬づきてをかし。
さて、上の台盤所にても、わらひののしりて、局に下りて、この童たづねいでて、文とり入れし人にみすれば、
「それにこそ侍るめれ」
といふ。
「誰が文を、誰かとらせし」
といへど、ともかくもいはで、しれじれしう笑みて走りにけり。大納言のちに聞きて、わらひ興じ給ひけり。