故殿の御ために
故殿の御ために、月ごとの十日、経仏など供養ぜさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にてせさせ給ふ。上達部(かんだちめ)、殿上人いとおほかり。清範、講師にて、説くことはた、いとかなしければ、ことにもののあはれふかかるまじき、わかき人々、みな泣くめり。
果てて、酒飲み、詩誦(ず)しなどするに、頭の中将斉信の君の、
「月秋と期して身いづくか」
といふことをうちいだし給へりし。詩はた、いみじうめでたし。いかでさは思ひ出で給ひけむ。
おはします所にわけ参るほどに、立ち出でさせ給ひて、
「めでたしな。いみじう、今日の料にいひたりけることにこそあれ」
とのたまはすれば、
「それ啓しにとて、ものみさして参り侍りつるなり。なほいとめでたくこそおぼえ侍りつれ」
と啓すれば、
「まいて、さおぼゆらむかし。」
と仰せらる。
わざと呼びも出で、逢ふ所ごとにては、
「などかまろを、まことにちかくかたらひ給はぬ。さすがににくしと思ひたるにはあらず、と知りたるを、いとあやしくなむおぼゆる。かばかり年ごろになりぬる得意の、うとくてやむはなし。殿上などに、あけくれなき折もあらば、何事をか思ひいでにせむ」
とのたまへば、
「さらなり。かたかるべきことにもあらぬを、さもあらむのちには、えほめたてまつらざらむが、くちをしきなり。上の御前などにても、やくとあづかりてほめきこゆるに、いかでか、ただおぼせかし。かたはらいたく、心の鬼出できて、いひにくくなり侍りなむ」
といへば、
「などて。さる人をしもこそ、妻(め)よりほかに、ほむるたぐひあれ」
とのたまへば、
「それがにくからずおぼえばこそあらめ、男も女も、けぢかき人おもひ、かたき、ほめ、人のいささかあしきことなどいへば、腹立ちなどするがわびしうおぼゆるなり」
といへば、
「たのもしげなのことや」
とのたまふも、いとをかし。