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枕草子 原文全集「なほめでたきこと」

著者名: 古典愛好家
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なほめでたきこと

なほめでたきこと。臨時の祭ばかりのことにかあらむ。試楽もいとをかし。


春は空のけしきのどかに、うらうらとあるに、清涼殿の御前に、掃部司の、畳をしきて、使は北向きに、舞人は御前のかたに向きて、これらはひがおぼえにもあらむ、所の衆どもの、衝重(つひがさね)とりて、前どもにすへわたしたる。陪従(べいじゅう)も、その庭ばかりは、御前にて出で入るぞかし。公卿、殿上人、かはりがはり盃とりて、はてには屋久貝といふものして飲みてたつ、すなはち、とりばみといふもの、男などのせむだにいとうたてあるを、御前には、女ぞ出でてとりける。おもひかけず人あらむともしらぬ火焼屋より、にはかに出でて、おほくとらむとさわぐものは、なかなかうちこぼしあつかふほどに、かるらかに、ふととりていぬるものにはおとりて、かしこき納殿(おさめどの)には、火焼屋をしてとり入るるこそ、いとをかしけれ。掃部司のものども、畳とるやおそしと、主寮(とのもり)の官人、手ごとに箒とりて、砂子ならす。


承香殿のまへのほどに、笛ふきたて、拍子うちて遊ぶを、とくいでこなむと待つに、有度浜うたひて、竹の籬(ませ)のもとにあゆみいでて、御琴うちたるほど、ただいかにせむとぞおぼゆるや。一の舞の、いとうるはしう、袖をあはせて、二人ばかりいできて、西によりて向かひてたちぬ。つぎつぎいづるに、足踏みを拍子にあはせて、半臂(はんぴ)の緒つくろひ、冠衣の頸など、手もやまずつくろひて、

「あやもなきこまつ」


などうたひて舞ひたるは、すべてまことにいみじうめでたし。

大輪など舞ふは、日一日みるともあくまじきを、果てぬる、いとくちをしけれど、またあべしと思へば、頼もしきを、御琴かきかへして、このたびは、やがて竹のうしろより舞ひいでたるさまどもは、いみじうこそあれ。掻練(かひねり)のつや、下襲(したがさね)などのみだれあひて、こなたかなたに、わたりしなどしたる、いでさらに、いへば世のつねなり。


このたびは、またもあるまじければにや、いみじうこそ、はてなむことはくちをしけれ。上達部(かんだちめ)なども、みなつづきていで給ひぬれば、さうざうしく、くちをしきに、賀茂の臨時の祭は、還立(かへりだち)の御神楽(みかぐら)などにこそ、なぐさめらるれ。庭燎の煙の、ほそくのぼりたるに、神楽の笛のおもしろく、わななきふきすまされてのぼるに、歌の声もいとあはれに、いみじうおもしろし。さむく冴えこほりて、うちたる衣もつめたう、扇もちたる手も、ひゆともおぼえず。才の男召して、声ひきたる人長の、心地よげさこといみじけれ。


さとなる時は、ただわたるを見るがあかねば、御社までいきてみるをりもあり。おほいなる木どものもとに、車をたてたれば、松の煙のたなびきて、火のかげに、半臂の緒、衣のつやも、昼よりはこよなうまさりてぞ見ゆる。橋の板をふみならして、声あはせて舞ふほども、いとをかしきに、水の流るる音、笛の声などあひたるは、まことに神もめでたしとおぼすらむかし。頭中将といひける人の、年ごとに舞人にて、めでたきものに思ひしみけるに、亡くなりて、上の社の橋の下にあなるを聞けば、ゆゆしう、ものをさしも思ひいれじとおもへど、なほこのめでたきことをこそ、さらにえ思ひすつまじけれ。


「八幡の臨時の祭の日、名残こそいとつれづれなれ。などかへりてまた舞ふわざをせざりけむ。さらば、をかしからまし。禄をえて、うしろよりまかづるこそくちをしけれ」


などいふを、上の御前に聞こしめして、

「舞はせむ」


と仰せらる。

「まことにやさぶらふらむ。さらば、いかにめでたからむ」


など申す。うれしがりて、宮の御前にも、

「『なほ、それ舞はせさせ給へ』と申させ給へ」


など、あつまりて啓しまどひしかば、そのたび、かへりて舞ひしは、いみじううれしかりしものかな。さしもやあらざらむ、とうちたゆみたる舞人、

「御前に召す」


ときこえたるに、ものにあたるばかりさわぐも、いといと物ぐるほし。
 

下にある人々の、まどひのぼるさまこそ。人の従者(ずさ)、殿上人など、みるもしらず、裳を頭にうちかづきてのぼるを、笑ふもをかし。



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・枕草子 原文全集「なほめでたきこと」

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渡辺実 1991年「新日本古典文学大系 枕草子・方丈記」岩波書店
松尾聰,永井和子 1989年「完訳 日本の古典 枕草子」小学館
萩谷朴 1977年「新潮日本古典集成 枕草子 上」 新潮社

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