平家物語
山門滅亡 堂衆合戦
山門の騒動をしづめんが為に、三井寺にて御潅頂はなかりしかども、山上には、堂衆、学生、不快の事出で来て、合戦度々に及ぶ。毎度に学侶打ち落されて、山門の滅亡、朝家の御大事とぞ見えし。堂衆と申すは、学生の所従なりける童部が、法師になつたるや、もしは中間法師原にてありけるが、一年金剛寿院の座主覚尋権僧正治山の時より、三塔に結番して、夏衆と号して、仏に花参らせし者共なり。近年行人とて、大衆をも事ともせざりしが、かく度々の軍にうち勝ちぬ。
「堂衆等、師主の命を背いて合戦を企つ。すみやかに誅罰せらるべき。」
よし、大衆、公家に奏聞し、武家に触れ訴ふ。これによつて、太政入道、院宣を承り、紀伊国の住人湯浅権守宗重以下、畿内の兵二千余騎、大衆に差し添へて、堂衆を攻めらる。堂衆日ごろは東陽坊にありしが、近江国三箇の庄に下向して、数多の勢を率し、また登山して、さう井坂に城郭を構へて立て籠る。
つづく