雪のいとたかうはあらで
雪のいとたかうはあらで、うすらかにふりたるなどは、いとこそをかしけれ。また、雪のいとたかうふりつもりたる夕暮れより、端ちかう、同じ心なる人二、三人ばかり、火桶を中にすゑて、物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、おほかたの雪のひかり、いと白う見えたるに、火箸して灰などかきすさみて、あはれなるもをかしきも、言ひ合はせたるこそをかしけれ。
宵もやすぎぬらむと思ふほどに、沓(くつ)の音近う聞こゆれば、あやしと見いだしたるに、時々かやうのをりに、おぼえなく見ゆる人なりけり。
「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふことにさはりて、その所に暮らしつる」
など言ふ。
「今日来(こ)む」
などやうのすぢをぞ言ふらむかし。昼ありつることどもなどうちはじめて、よろづのことをいふ。円座(わらふだ)ばかりさしいでたれど、片つ方の足は、下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、内にも外にも、このいふことは飽かずぞおぼゆる。
明けぐれのほどにかへるとて、
「雪なにの山にみてり」
と誦したるは、いとをかしきものなり。女の限りしては、さもえゐあかさざらましを、ただなるよりはをかしう、すきたるありさま、などいひ合はせたり。