ナポレオンの没落のはじまり
こうした華々しいナポレオンの絶頂期も長くは続かず、次第に没落していくようになります。
ナポレオンの没落は、
大陸封鎖令の実施と、各国の
ナショナリズムの高まりがきっかけでした。
大陸封鎖令というのは、1806年11月にナポレオンがベルリンで発布した勅令で、イギリスに経済的打撃を与え国力を削ぐと同時に、ヨーロッパ大陸の市場をフランスが独占する目的で実施されました。
ところが、この時代の経済は各国の貿易のバランスによって成り立っていたんです。
イギリスはヨーロッパ各国と経済的に強い結びつきを持っていたんですね。イギリス製品は各国で消費され、逆にロシアなどの農産物をイギリスが大量に購入していました。
こうした経済封鎖は、イギリスのみならず他の大陸諸国の経済にも大打撃を与えたため、ヨーロッパ大陸の国々の間でナポレオン対する反感がおこりました。
次に各国のナショナリズムの高まりです。ナポレオンの戦争は、フランス革命の自由や平等の精神がさまざまな地域に広がるという側面もありましたが、強引な対外政策により、そのうちフランス軍は侵略者として認識されるようになっていきます。
ナショナリズムとは、それぞれの国の人々が国民意識や民族意識といった自分たちの民族的な価値を強く認識して、自民族の立場を強化しようとする考え方のことです。
前述の屈辱的なティルジット条約を結ばされたプロイセンでは、農奴解放や自治制度・中央行政機構の改革が
シュタインや
ハルデンベルクといった政治家によって行われ、ベルリン大学を創設した
フンボルト、哲学者フィヒテによる「
ドイツ国民に告ぐ」という演説を通じてナショナリズムの高まりと近代化の道筋がつくられます。
一方、スペインでは、1808年以降、ナポレオン軍の侵略に民衆が抵抗運動(ゲリラ)を続けます。
ゲリラとは、スペイン民衆がナポレオン軍に対して行った戦術のことで、スペイン語の「小さな戦争」という意味から来ています。
この
半島戦争と呼ばれる戦争以降、ナポレオン軍は侵略者として認識されるようになっていきます。
(ゴヤ作 『マドリード、1808年5月3日』)