はじめに
フランス革命の末期、混乱するフランスに現れた英雄が
ナポレオン=ボナパルトです。
このテキストでは、ナポレオンがどういった歴史的背景から登場し、その後ヨーロッパにどのような影響を与えたのか見ていきましょう。
ナポレオンの生い立ち
ナポレオン=ボナパルトは、1769年、当時フランス領となっていた
コルシカ島の貧しい貴族の家に生まれます。
(赤:コルシカ島)
もともとの名前は、ナポレオーネ・ディ・ブオナパルテ、つまり、イタリア系の人間でした。
パリの陸軍士官学校を卒業したあと、ナポレオンはフランス革命軍に参加します。
ナポレオン戦争のはじまり
最初ジャコバン派を支持していたナポレオンは、テルミドールの反動の際に一時投獄されてしまいましたが、その後1796年、若干27歳でイタリア遠征軍の総司令官に抜擢され、サルディーニャ・オーストリア連合軍を撃破し、
カンポ=フォルミオの和約を結ぶことに成功しました。
このイタリア遠征以降を
ナポレオン戦争といい、カンポ=フォルミオの和約により第1回対仏大同盟が崩壊し、フランスは対外的に勢いを取り戻します。
次に、イギリスと植民地インドの連絡を断つ目的で、1798年当時オスマン帝国領だったエジプトに遠征します。
(エジプト遠征)
このエジプト遠征では、ナポレオンが率いるフランス陸軍は陸上戦闘で勝利しますが、フランス海軍は
ネルソン提督率いるイギリス海軍に
アブキール湾の海戦で惨敗します。
エジプト遠征を受けて、1799年イギリスとオーストリア、ロシアが
第2回対仏大同盟を結びフランス本国が再度危機に陥ったので、ナポレオンは急いで本国に帰還しました。残されたフランス軍はその後イギリスに降伏しました。
ナポレオンのエジプト遠征の際、エジプトでロゼッタストーンが発見され、後にフランスの考古学者シャンポリオンにより、古代エジプトのヒエログリフが解読されます。