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18_80 ヨーロッパ・アメリカの変革と国民形成 / フランス革命

ナポレオン時代② ~皇帝ナポレオンの即位 第一共和政の終結と第一帝政の盛衰~

著者名: エンリケ航海王子
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ロシア遠征とナポレオンの最後

こうしてヨーロッパ各国でナポレオンへの反発が強まる中、フランスは1812年ロシア遠征を開始します。

遠征の理由は、ロシアのアレクサンドル1世がイギリスへの穀物輸出を再開したことから、ロシアへの制裁を行うためでした。

この遠征軍は、主に占領下の地域から集められた兵士で構成されており、フランスやナポレオンへの忠誠心はあまり持っておらず、士気も低い軍隊でした。

1812年、ナポレオンの軍隊はモスクワを占領することに成功しますが、ロシアは都市の食料や物資・建物をすべて焼き払う焦土作戦を行い、侵入軍の現地調達を不可能にしました。

こうして60万人からなる遠征軍は撤退しますが、帰路にロシア軍の攻撃にあい、国境付近にまでたどり着いたのはその五分の一程度でした。

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(ロシア遠征)

このナポレオンの大敗後、イギリス・ロシア・プロイセン・オーストリア・スウェーデンは第4回対仏大同盟を結び、ナポレオン体制を打倒するため、各地で解放戦争が行われました。

1813年10月、ライプチヒの戦い(諸国民戦争)で、フランス軍がオーストリア・プロイセン・ロシアの連合軍に大敗すると、ナポレオンは退位し、イタリア北西岸のエルバ島に幽閉されます。

1814年からナポレオン戦争によって混乱したヨーロッパの秩序を取り戻すため、ウィーン会議が開かれます。この会議では、様々な利害が対立し、混乱が続いていました。

この様子を見て、ナポレオンは密かにエルバ島を脱出し、パリに戻って皇帝に復位します。

これを見て焦った各国は再度団結し、イギリス人司令官ウェリントンを中心とするイギリス・プロイセン・オランダ軍を組織、ワーテルローの戦いでナポレオンを破り、その後アフリカ西部の孤島セントヘレナ島に幽閉し、ナポレオンは1821年にこの島で亡くなりました。

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(流刑後のナポレオン)

エルバ島脱出からセントヘレナ幽閉までをナポレオンの百日天下といいます。

こうして、フランス革命からナポレオン時代を経てヨーロッパに起きた混乱期がおわり、その後ウィーン体制という新しい時代を迎えることになります。
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