はじめに
イランは、現在はイスラム教の国として成立していますが、イスラムの誕生以前に巨大な王朝がいくつも存在した地域でした。
このテキストでは、イラン付近でさまざまな王朝の勃興を見ていきましょう。
アレクサンドロス大王の遠征とセレウコス朝シリア
現在、イランと言われる地域に生活していたのは、もともと農耕や放牧で生計を立てていた
イラン系民族でした。彼らは、
アケメネス朝ペルシアの支配下に置かれた後、東方遠征の末アケメネス朝を滅ぼした
アレクサンドロス大王の領民となりました。
アレクサンドロスの死後、彼の広大な領土は分割され、イラン地方には
セレウコス朝シリアが建てられます。セレウコス朝シリアとは、アレクサンドロス大王の配下だった武将セレウコスがイラン高原を含む西アジアに建国した国です。
セレウコス朝は多くの
ギリシア人移民を受け入れ、一時期繁栄しますが、長く続きませんでした。
領内から、2つの国が独立してしまったからです。
弱体化したセレウコス朝は、最終的にローマ帝国によって滅ぼされてしまいます。
バクトリア
バクトリア(前255頃~前139年)はセレウコス朝内から一部の
ギリシア系住民が自立し建国した新しい国です。
バクトリアはヘレニズム文化を東方に伝えるという重要な役割を果たします。バクトリアがもたらしたヘレニズム文化は、インドの
クシャーナ朝に大きな影響を与え、
ガンダーラ美術を生み出すきっかけともなりました。最終的に
スキタイ系トハラ人によって滅ぼされてしまいます。
パルティア
パルティア(前248年頃~後226年)は、セレウコス朝の支配下のイラン人が建国者
アルサケスによって率いられ独立した国です。アルサケス朝パルティアともいいます。
パルティアはその後、
ミトラダテス1世のもとイラン地方で強力になり、ローマ帝国とたびたび争いました。ローマ三頭政治のひとり、
クラッススは、この時のパルティアとの戦いで戦死しています。栄華を誇ったパルティアも次第に弱体化し、最終的にササン朝ペルシアに滅ぼされます。