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18_80 アジア・アメリカの古代文明 / イラン文明

イラン文明の興り ~セレウコス朝・パルティア・ササン朝の文化~

著者名: エンリケ航海王子
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ササン朝ペルシアの成立

パルティアの滅亡後、イラン系のアルデシール1世ササン朝ペルシア(226年~651年)を建国します。ササンとはアルデシールの祖父の名前で、過去に存在したアケメネス朝ペルシアの復興を目指し、都をクテシフォンに置き、ゾロアスター教を国教とした王朝でした。

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(アルデシールの貨幣肖像)

アルデシールの没後、新たに即位したシャープール1世は、東方ではインドのクシャーナ朝を滅ぼし、他方西方ではシリア地方でローマ軍と激突し、時の皇帝ヴァレリアヌスを捕虜とするなど、ササン朝の基礎を固めます。
ササン朝は5世紀から6世紀にかけて、異民族エフタルの侵入を経験すると、一時混乱に陥りますが、ホスロー1世がこれを収め、別の異民族突厥との同盟をきっかけにエフタルを滅亡させます。
次のホスロー2世の下、ササン朝の領土は最大になりますが、東ローマの遠征に失敗すると次第に衰退しはじめ、最終的にヤズダギルド3世が新興勢力だったイスラム教徒とニハーヴァンドの戦いでやぶれ、ササン朝は滅亡します。

すこしややこしいので、流れに沿ってササン朝の王とその出来事・業績を以下にまとめます。

王の名前在位出来事・業績
アルデシール1世226~241パルティアを滅ぼす。ササン朝の建国。
シャープール1世241~272クシャーナ朝を滅ぼす。エデッサの戦いでヴァレリアヌスを捕虜に。「イラン人および非イラン人の諸王」
ホスロー1世531~579ササン朝最盛期の王。東ローマユスティニアヌスとの戦い、エフタルを滅ぼす。最盛期の王。
ホスロー2世591~628領土最大。東ローマ遠征失敗。
ヤズダギルド3世632~651ニハーヴァンドの戦いで敗れる。ササン朝ペルシア滅亡。

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