ササン朝ペルシアの成立
パルティアの滅亡後、イラン系の
アルデシール1世が
ササン朝ペルシア(226年~651年)を建国します。ササンとはアルデシールの祖父の名前で、過去に存在したアケメネス朝ペルシアの復興を目指し、都を
クテシフォンに置き、ゾロアスター教を国教とした王朝でした。
(アルデシールの貨幣肖像)
アルデシールの没後、新たに即位した
シャープール1世は、東方ではインドの
クシャーナ朝を滅ぼし、他方西方ではシリア地方でローマ軍と激突し、時の皇帝
ヴァレリアヌスを捕虜とするなど、ササン朝の基礎を固めます。
ササン朝は5世紀から6世紀にかけて、異民族
エフタルの侵入を経験すると、一時混乱に陥りますが、
ホスロー1世がこれを収め、別の異民族突厥との同盟をきっかけにエフタルを滅亡させます。
次の
ホスロー2世の下、ササン朝の領土は最大になりますが、東ローマの遠征に失敗すると次第に衰退しはじめ、最終的にヤズダギルド3世が新興勢力だったイスラム教徒と
ニハーヴァンドの戦いでやぶれ、ササン朝は滅亡します。
すこしややこしいので、流れに沿ってササン朝の王とその出来事・業績を以下にまとめます。
| 王の名前 | 在位 | 出来事・業績 |
| アルデシール1世 | 226~241 | パルティアを滅ぼす。ササン朝の建国。 |
| シャープール1世 | 241~272 | クシャーナ朝を滅ぼす。エデッサの戦いでヴァレリアヌスを捕虜に。「イラン人および非イラン人の諸王」 |
| ホスロー1世 | 531~579 | ササン朝最盛期の王。東ローマユスティニアヌスとの戦い、エフタルを滅ぼす。最盛期の王。 |
| ホスロー2世 | 591~628 | 領土最大。東ローマ遠征失敗。 |
| ヤズダギルド3世 | 632~651 | ニハーヴァンドの戦いで敗れる。ササン朝ペルシア滅亡。 |